■ 村上(新潟県村上市)、乙宝寺(胎内市) | |
◆ 村上 | |
芭蕉と曾良は新暦8月13日、ここ村上に到着し2日宿泊した。 当時、村上は榊原氏の城下町で、筆頭家老・榊原帯刀(さかきばら たてわき)の父に曾良が仕えた縁があり、挨拶に 行って金一分を貰っている。また、城下の喜兵たちが歓迎してくれ二泊しています。 |
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宿泊した久左衛門宅の跡地、旅館・井筒屋。 | |
城址と重文・若林家武家屋敷の内部。 私が訪問した時は「城下町村上・人形さま巡り」開催中でお雛様が飾って有りました。 |
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曾良は瀬波温泉に立ち寄ったと書いて有りますが、その南に岩船神社が有ります。 | |
赤い鳥居前に有る芭蕉句碑 花咲きて七日鶴見る麓かな で、奥の細道には関係有りません。 |
駐車場右手の白い鳥居の中にある芭蕉句碑 文月や六日も常の夜には似ず で、奥の細道北陸道の中での一句が刻まれています。 |
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◆乙(きのと) 乙宝寺(おつぽうじ) | |
新暦8月15日、乙(きのと:新潟県胎内市)に次作(じさく)と言う者を訪ね大歓迎を受けて、乙宝寺にも同行して います。この日は、築地(ついじ)に有る次作の子供・次市良の家に宿泊することになります。 Map |
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乙宝寺は天平年間(729-749)に行基が開基したと伝えられ、1620年に建立された三重塔が有ります。 | |
本堂の右手脇に複数の石碑が有ります。 一番近くに『浮世塚』の案内板が立っていますが、案内 板とその肝心の石碑の位置にミスマッチが有ります。 うっかりすると脇の石碑がそうかなぁ?と思ってしまいま す。大体、石碑の文字は草書で書かれていることが多く 、恥じを晒すようですが私には読みこなせないのが実体 です。予めネットで調べて”丸い石碑”だと分っていまし たので良かったですが初めての方は大変でしょう。 位置関係を示す為に↑上の写真を載せておきます。 奥の丸い石碑がそうです。 うらやまし浮世の北の山桜 かつては、この句から桜塚と呼ばれていたようですが、 今は浮世塚と呼ばれているようです。奥の細道とは関係 有りません。 |
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