■松尾芭蕉 奥の細道その後    『五本松』/東京深川
  
 松尾芭蕉は、奥の細道紀行を終え伊勢を訪問、故郷伊賀上野、京都などで過ごした後また1691年秋に江戸に戻る。
1692年5月、再度深川・第三代目の『芭蕉庵』(出発前の隣地に建てられた)新築によりここに引っ越す。
そんなある日、小名木川に船を浮かべ、月見の名所『五本松』に遊んだことが有りました。
 
 そのゆかりの地の詳しいリポートを、東京のJyoさんから頂戴しましたので以下にご案内します(2007.2.20)

   
芭蕉さん追っかけ散策、チョコットご報告しますネ。
さくらん坊さんが訪れた江東区芭蕉記念館の庭園に芭蕉さんの句碑が3点建っていました。
そのうちの2句、

『草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家』

『ふる池や 蛙飛び込む 水の音』

については、さくらん坊さんの「奥の細道」の紀行文に詳しく紹介されておりますが、残り1句、

“深川の末、五本松といふ所に舟をさして”
『川上と この川下や 月の友』

の句は「奥の細道」とは直接の関連性がないからでしょうか?さくらん坊さんは訪れなかったご様子でしたので、
句が詠まれたとされる「五本松」とはどんな場所なのか探索しに行ってきました。
   
↑ 芭蕉記念館の築山に建っている句碑(江東区芭蕉記念館にて)  ↑ 芭蕉庵近辺の絵地図。(江東区森下交差点にて)
五本松は、大川(隅田川)に注ぐ小名木川の約2q上流にあります(この絵図の下方)。
芭蕉さんの旅の殆んどがこの小名木川から舟に乗って出かけたそうです。
  五本松跡
隅田川から数えて四つ目の通り「四つ目通り」にある小名木川橋のたもとに五本の松があったそうです。

「江戸時代この付近から東にかけて小名木川の河畔に老松があり、小名木川の五本松として有名となり、地名とも
なったほどであった…中略…明治時代にいたり枯れてしまった。」(石碑より抜粋)

現在は「五本松跡」の石碑と松の木が植えられています。

石碑の周りには松の木が植えられておりますが、どう見ても三本しかありませんでした。
が、道路の反対側(川下側)に2本植えてあり、「五本松」
になっておりました。
 ↑ 橋の欄干にレリーフが飾られています。
広重の版画 「五本松」 が描かれている。
小名木川上流の遠景。 満月の夜の五本松での船遊びと芭蕉の俳句。
「江戸名所図会」より引用
五本松は名月鑑賞の名所であって、芭蕉さんはこの五本松のほとりに舟を浮かべ、川上にいる風雅の友を想って
この句を詠ったといわれています。(芭蕉50歳)