■ 小田原町/現 日本橋室町

 松尾芭蕉29歳(1672年)の時、江戸に出てくる。
江戸住まいの最初の地が、小田原町と言われています。

 江戸に下って暫らくは、古典派と呼ばれる『貞門派』として弟子たちの指導に当たった。
しかし、その江戸で俳諧の人気が前衛派とも言うべき『談林派』の方に傾きつつある事を察知
し談林派に鞍替えした。俳号を桃青に改め、35歳頃には宗匠として名を上げた。
しかし、その談林派も飽きられ衰退、芭蕉は独自の道を歩むべく深川に移る。

(注)江戸に出て、最初当地に住み1676年に一旦帰郷。翌1677年に戻り文京区関口で水道工
事に従事、37歳の1680年に深川に移り住むことになる
  
 この地を『東京のJyoさん』からリポートいただきましたので、この頁でご案内です。

「発句也 松尾桃青 宿の春」     

句碑は中央区日本橋室町一丁目、老舗の佃煮屋の店先に建っております。

この一両日いつもの早朝散歩のコースを変えて日本橋室町界隈まで足を伸ばしてきました。
この近辺は中央区のマンホールの蓋を探し歩いた場所でしたが、芭蕉の句碑が在るなんて全く
知りませんでした(笑)。
そのころは興味が無かった??

芭蕉さんがここ小田原町(現・日本橋室町一丁目)に間借りしていた頃は、「芭蕉」という俳号
ではなく、「桃青」と称していたそうですね。初めて?しりました(恥)。
ここで俳壇の地位を固め、俳諧宗匠になられたと紹介されております。

「奥の細道」には直接の関係ありませんが、深川の芭蕉庵に移住する前の「芭蕉ゆかりの地」
として関連付けるのも一考かな?と思いました。
                     …2006.1.27 東京のJyoさんのリポートより
↑某佃煮屋の店先に建てられている芭蕉の句碑 ↑ 「発句也 松尾桃青 宿の春」
↑ 句碑の説明部分
↑ 「芭蕉の句碑」のアップ ↑ 日本橋の図絵部分