■ 日光 その1
  
 1689年5月18日(本当は19日)、旧暦3月の晦日、日光山の麓にある五左衛門と言う者の宿に泊まる。
その主の言うことには「私の名前を『仏の五左衛門』と人々が呼びます。まじめ人間ゆえ人はそう呼んでいますので
一夜の旅寝もゆっくりくつろいで休んでください」と。
 どのような仏様が汚れたこの世に姿を変えて現れ[もしかしてこの男が]、私どものような僧侶の姿をした・食べ物を
人に恵んでもらい諸国の霊地を回る人々を救うのか見ていると、小ざかしい考えも無く正直一本の人間だった。
その人柄は論語の「仁」の境地に近く、まさに尊ぶに値する。

  
 ※善根宿: 日本各地に、お金を持たずに巡礼などをしている人々をタダで泊める宿があった。芭蕉もそんな宿にお世話になったようである。
 古くから山岳信仰の対象とされた日光連山の主峰・男体山。-JR日光駅から-
別名「黒髪山」あるいは「二荒山」等と称される。
千手観音の浄土が補陀洛山【ふだらくさん】で、それに「二荒山(ふたらさん)」の字を当てていたのを空海が「にこう」と
読み「日光」の字を当てたとの説もあります。
 現在の日光東照宮、日光山輪王寺、二荒山神社の二社一寺のある一帯を「日光山」と言っている。 Map
 日光道中・日光例弊使街道には、名物の杉が植えられ杉並木になっていますが1625年頃から20年掛けて植栽され
たとのこと。左上はJR日光線・文挟(ふばさみ)駅前の並木。右上はJR日光駅前付近の杉並木。
下鉢石町から見る芭蕉が泊まったと言う上鉢石町方面 日光山への入り口となる神橋。橋に入るのに料金が・・
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