■ 遊行柳 (栃木県那須町足野)
 1689年新暦6月7日、遊行柳(ゆぎょうやなぎ)を訪れた。
  
また、西行法師が「清水ながるる(※)」と詠んだ柳は、芦野の里にあって今でも田の畔に残っている。この地の郡主
で戸部なにがしと言う者が「この有名な柳を見せたいものです」と仰っていた。今日とうとうこの柳の陰に立ち寄ること
が出来た。

     ※ みちのべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ …西行法師
   
(旅に疲れて、道の脇の清水が流れている柳の木の下でしばらく休もうと思って立ち止まったのだが)
  
 ここで一句。
 田一枚植えて立ち去る柳かな
    (有名な柳の陰で西行法師を偲んでいると、いつの間にか時間が過ぎ、気がつくと人々は田を一枚植え終えて立ち去ってしまった。
     私も名残惜しいがこの辺で立ち去ることにしようか。)

  
 国道294号線から少し離れた田んぼの中、山の端の上の宮神社の前に有ります。
 田んぼ道からの遊行柳への入口と、灯篭の左、桜の木の次に「遊行柳」が有ります。
当然のことながら何代か植え替えられています。
 遊行柳の『遊行』とは仏教の一宗派の時宗のこと。鎌倉末期に一遍がひらいたもので当時は遊行(ゆぎょう) 宗と
言われていた。一遍は、念仏を書いた紙の札をあう人ごとにさずける賦算(ふさん)と、念仏をとなえながらおどる
踊念仏を中心として布教をおこなった。やがて一遍を聖と仰ぐ信者集団が形成され、これを時衆と言い江戸時代に
は宗派を時宗と呼ぶようになったとのこと。
 遊行上人が使っていた柳の杖が根付いて柳になったとか、上記案内板の様に柳の精が現れたとかの伝説が有る。
 
↑写真右上が、芭蕉の句碑(田一枚…)
 神社のイチョウの銘木越しに見る遊行柳  目印の遊行庵
 今回は、栃木・福島県境の「関の明神」から10数キロ南下して遊行柳を見に行きました。途中の案内板には『遊行柳 ●km』などの標識は
有るのですが現場には有りません。田んぼの中に有りますので”よそ見運転”をしていない限り遊行柳は見つけられません。
国道294号線沿いにドライブインの様に見える(↑右上)『遊行庵』と言う施設がありそこに駐車場がありますので、そこから田んぼ道を5分ほど
歩いて行きます。   
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