■ 国見峠・伊達の大木戸   
  ◆関連地図・厚樫山(阿津賀志山) Map
 
 ここは未だ福島県国見町ですが、我がHP奥の細道を訪ねての宮城県の入口として『伊達の大木戸』を持ち
出してきた次第です。
 同じ東北でも、福島県までは幕府の直轄領か関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従った譜代大名の領地であり、
芭蕉一行も『国境』を意識する事は無かったと考えられます。しかし、東北の雄・仙台伊達藩内に入るとここは
外様大名の国である。途端に入国手続きが厳しくなったであろうことが推察される。
千住を発って初めて”外国並み”の奥の国に入ることになるのである。
  
↑上の写真、背後の山が「厚樫山(阿津賀志山)」で東北道・国見SA付近の景観ですが、ここは旧奥州街道交
通の難所・国見峠のある場所です。
厚樫山の東山麓を東北自動車道、JR東北本線、国道4号線が走っています。
 又、この地は源義経にもゆかりの深い場所で、逃避行後に平泉にいた義経を鎌倉からの再三の求めに怯え
藤原泰衡は義経を討つが、その3ヵ月後にはその鎌倉の源頼朝の軍勢が奥州を攻めるのであった。
両者はここ阿津賀志山の麓で戦い、奥州藤原家は滅亡する。  ( 関連頁 )
 その時厚樫山中腹から『防塁』を築いたのだが現存している。今回、その始点を見ようとしたが工事中で入れ
なかった。
 
 上段の写真は、『義経の腰掛松』 Map と言われるもので、一代目の松の根元はお堂の中に有ります。
また、上段右は、『弁慶の硯石』 Map(正確では有りません) で、少し離れた所に有ります。
奥州街道 国見峠長坂跡   (写真左上は、下からの景観。右上は、上から見たところ。)
ここには古道が残っています。 ほんの少しですが芭蕉が歩いた道を登っていきます。
 頂上部分で昔、茶屋があったところに『芭蕉の碑』が建っています。
 
羇旅邊土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん是天の命なりと、気力聊かとり直し、路縦横に踏んで、
伊達の大木戸をこす

…旅の途中で辺鄙な土地の行脚をし、俗世間から身を捨て、この世は無常を覚悟しているで道中で死ぬのも天命と思って、元気を少し
取り戻して、道を思いのまま踏みしめて伊達の大木戸を越した。  ⇒仙台藩・伊達領に入った。
 ところで、この「伊達の大木戸」はこの峠のことでは無さそうで、もう少し仙台寄りに有ったようですが国見町はこの辺りとしているようです。
又、Map(多分この辺り) でもお分かりの様に、保有している地図にも『国見峠長坂跡』は載っていません。
   
 今回、東北自動車道国見ICで降りて国道4号線を北上し、途中、県北中学校のところから右に旧道に入り、丁字路で左折し義経の腰掛松
を見た後、JRと東北道の下をくぐって厚樫山に向かいましたが道路が工事中で(土曜日なので休みだろうと進みましたが…)遊歩道登山口の
所に行けませんでした。従って、防塁跡も見ることが出来ませんでした。
 諦めて、線路のところから南下する別な道から国道4号線に入り、また北上していて『弁慶の硯石』の標識を見つけました。
 
 上記の『国見峠』は国道4号線の坂の坂を上りきる少し手前に有ったのですが通り過ぎてしまい、交番の有る信号でもう少し手前だと気づい
て途中からUターンしてやっと見つけました。 福島交通・大木戸支所のバス停& 写真右上の果樹園が目印になります。
細い道を道なりに進んでいくと展望が開け、看板が出ています。