■ 平泉 その3
  
 中尊寺の参道・月見坂の途中に大門跡が有り、そこから少し参道を進むと弁慶堂が有ります。弁慶像がありますが撮影禁止です。
 その向い側に、展望台・東物見台が有り、義経が尊敬する西行の歌碑・『聞きもせず たばしね山のさくら花 吉野のほかにかかるべしとは』
が建立されています。写真右上はその束稲山(たばしね)。歌枕の桜の名所ですが現在桜は無くなっています。
金色堂。中に、金堂が有ります。撮影禁止なので外側だけです。  『えさし藤原の里』の金色堂のレプリカ。こんな感じだったのでしょう。
 芭蕉像・句碑・旧鞘堂(金色堂の覆い)。  中尊寺の本堂

■ 春の藤原祭り『義経公東下り』
 芭蕉が『奥の細道』紀行に出た動機は、辺鄙なみちのくの歌枕の地を西行などに習って訪ね歩くことと、『旅に死す』かも知れない境遇に
自分を置くこと。
 そして、既に辞世の句を準備して奥の細道を歩いていれば、自ずと、例えば山男は山で死んで本望と思うあの心理に似たものを持って
いたと思う。  その心理の中で、陸奥の地で若き命を散らした源義経への思いが強かったに違いない。
 そんな訳で、藤原祭・義経公東下りの写真を載せておきます。
  
 平泉では毎年5月の春の藤原祭りで『義経公東下り』のパレードが開催されています。
一行は、平泉駅前−毛越寺−平泉駅−中尊寺入口のコースで町内をパレードします。 ↑藤原秀衡、金売り吉次役。
   
 北の方
 毛越寺  弁慶
 毛越寺の庭園で、藤原秀衡が義経を労う場面の再現。 義経、北の方、弁慶役が乗っています。
  平泉