■ 平泉 その1
    
 1689年新暦6月29日、岩手県・平泉を訪問した   Map 
藤原三代の栄華も、一瞬の夢。往時の大門の跡は一里手前に残っている。秀衡の館の跡は田や野原になってしまい
金鶏山だけが形をとどめている。先ず高館に登ると目の前に流れている川は南部地方から流れ来る北上川である。
衣川が城を取り巻くように流れていてここ高館の所で北上川に合流している。
 秀衡たちの居た旧跡は衣が関を間において南部地方からの蝦夷(えみし)の侵入を防いだのだろう。
忠義の家臣たちがを選りすぐりこの城に立てこもったが、その手柄は一時の間に消えてしまい今では一面草むらにな
ってしまっている。
「国破れて山河有り、城春にして草青みたり」と言う杜甫の詩を思い出しながら笠をちっょと置いて時を忘れ涙を流した
のであった。

 
 夏草や兵どもが夢の跡
  …(この城には、今は夏草が生い茂っていることだ! しかし、昔は<義経や藤原氏の>武士たちが戦い、功名を夢見た夢の跡なのだよ)

 卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良
  …(卯の花を見ていると、白髪を振り乱して戦った兼房※が見えてくるようだ)   ※義経の老いた家臣、増尾十郎兼房

 以前から噂に聞き興味を持っていた2堂が開帳された。経堂は藤原三代の像を残しており、光堂は三代の棺を納め
三尊の仏を安置している。本来ならば、七宝は今では散り失せ、珠玉に彩られた扉は風により傷み、金箔に彩られた
柱は霜や雪で腐って草むらだけになってしまうところを、堂の周りを取り囲むように鞘堂を建てて風雨をしのいでいる。
こうして、しばらくは千年の記念になっているのだ。


 五月雨の降りのこしてや光堂
  …(長い間さすがの五月雨も降り残したのだろうか。光堂と言う名の通り美しく輝いている)
 JR東北本線・平泉駅に降り立ち、駅前の大通りを直進すると毛越寺に行けますが、中尊寺まで奥の細道ゆかりの地を探訪する為には
駅前から右折し旧道(中尊寺通り)を北上します。踏切を越すと右手に秀衡居館跡・伽羅御所跡、清衡居館跡・柳之御所跡が有ります。
更に進むと、下の無量光院跡、高館、卯の花清水などを経て中尊寺へと行けます。中尊寺入口の国道4号線脇に平泉文化史館と駐車場
が有りますが、↑上の案内図など芭蕉・奥の細道、義経関連の碑などが有ります。 
 宇治平等院を模した無量光院跡。今は、田んぼの中に樹木を残す
のみとなっている。
 『えさし藤原の里』にある、無量光院のレプリカ。
 高館にある、義経堂。 仙台藩4代藩主伊達綱村によって建立され、中に義経の木像が安置されている  
 義経供養碑 『夏草や…』の句碑
 眼下に北上川が流れ、対岸奥に歌枕の地、かつて桜の名所だった束稲山を望む。
 北側に目を転じると、衣川が見えます。昔はもっと高館に近いところで北上川に合流していたらしい。
 高館の近くにある卯の花清水。 曾良の『卯の花に…』の句碑が有ります。
        平泉