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■芭蕉の心を捉えた人・西行と共に歌枕の地探訪 その3 |
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束稲山(たばしねやま) 西行が吉野と並び称した桜の山
聞きもせずたばしね山のさくら花 吉野のほかにかかるべしとは
(束稲山の桜が吉野の桜にも劣ることのないものだとは聞いたこともなかった)
現在は、西行が見たという桜は殆ど残っておらず、駒形山麓の「西行桜の森」で楽しめるそうです。
写真は、義経が住んだ岩手県平泉の高館からの展望。 |
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後三年の役(1083年)以降、奥州藤原氏が陸奥の国を統一する。
北上川へと注ぐ衣川が流れる。その上流は、広い田園で、ここが、衣川古戦場です。前九年の役では源頼義、
後三年の役では源義家。義経の父祖にあたる武人たちが、ここで戦い、中央へ凱旋して行きました。
とりわきて心も凍みて冴えぞ渡る 衣河見に来たる今日しも
(いつか訪問したかった衣川を渡れた今日は寒さがとりわけ心にしみる) |
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奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)が100年の栄華を極めた平泉の地は、この地域全体を仏教思想の極楽浄土
にしようと開発・整備された。その象徴は中尊寺・金色堂(写真:右上)です。金色に輝く堂は全体を鞘堂で覆われ
ていますが内部に入ると豪華絢爛な姿を見ることが出来ます。
↑写真左上:中尊寺参道・月見坂の途中、東物見台にある西行歌碑。
『聞きもせず…』の歌が刻まれています。 |
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中尊寺入口の弁慶の墓と桜。 |
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義経が6年間住まいし、散った高館。後に、仙台・伊達藩主4代目伊達綱村によって義経堂が建立され、中に凛々
しい姿の義経木像が安置されています。 |
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毛越寺(もうつうじ)の庭園と池。毎年5月3日には春の藤原祭り・「源義経公東下り」行列が開催される。
写真は、義経と北の方、弁慶が藤原氏が用意した池内の接待場所に向かう様子を再現したもの。
西行が、二度目の陸奥に旅出たのは、1186年で平泉の藤原秀衡(ひでひら)から東大寺再興の為に砂金を提供して
もらうために、それまでいた伊勢を旅立った。西行69歳の時であった。
この時期は、義経が一の谷、屋島、壇ノ浦で次々に平家の軍を破って1185年に兄・頼朝の居る鎌倉に帰ってくるが
頼朝から鎌倉入りを許されず、ついには義経の逃避行が始まる時期でも有りました。
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