■赤嵌楼(せきかんろう=ツーカンロー) 台南  台湾一周5日間2012.8.12-16 -C   2012.8.13
 文武廟から約108km 約2時間30分、台南市に到着です。

 赤嵌楼は1653年にオランダ人が建てた城塞でした。鄭成功が1661年にオランダから台湾を独立させて以来 台南が台湾政治の
中心となりました。
上の写真は赤嵌楼とその時のオランダ降伏記念像になっています。
尚、鄭成功の母親は日本人で、長崎県の平戸出身の田川まつと言う人です。

大雑把に台湾の歴史を・・・

 18世紀頃までの台湾は、中国本土の支配を受けた他、オランダやスペインの植民地であったりもしました。

1624年 オランダは南部台湾を占拠し、ジャワから日本等への中継地点として利用した。
また、オランダは台湾でサトウキビの栽培を始めた。
1626年 スペインは台湾の北部である基隆、淡水を占拠し、フィリピンから日本等への中継地点として利用した。
1642年 スペインはオランダの攻撃によって台湾から退却した。

1662年 清朝との戦いに負けた明朝の鄭成功(ていせいこう)は台湾へ逃げた。そして、オランダを追い出した。
台湾が独立した。鄭成功は台湾を明朝の国とし、中国本土の清朝への戦いの拠点とした。

1683年 鄭成功の死亡後、台湾の明朝は清朝によって滅ぼされ、1684年 台湾は清朝の福建省に隷属された。
清朝は現在の台南市に台湾府を置いた。

これ以降、清朝は200年の間、台湾を支配したが、清朝自身は台湾を積極的に開拓しようとしなかった。
しかし、大陸の福建省や広東省からの移民が激増し、彼らは台湾の南部から北部へと土地を開拓していった。
 赤嵌楼
 概要図  石碑群
 
 狭い階段を登って上に上がります
 壷は縁起が良いようだ。
 レンガをくっつける接着剤には石灰、砂糖、餅米を混ぜたものが使われています。
 台湾の南側に来ると赤い花が目立つようになる。葉は合歓の木の葉に似ているが「鳳凰樹」。
日本人は「南洋桜」と呼んでいたようです。
 レンガ造りの建物はそれだけで情緒が有ります。
 鯉の餌の自販機。筒に入った餌は10元でした。