■ 三峡「清水祖師廟」      台湾まんきつ紀行北部周遊4日間 2012.5.3-6 H
 三峡の街に到着です。
ここでも、「バイク」に出会いました。 お母さん、三人乗りです(~~;
丁度、夕暮れ時にここに入りましたので地元の人たちが夕方の買い物です。
 
 三峡は水運で栄えた町。
 三峡は、かつて客家人が初期に台湾定住を始めた場所といわれています。淡水につながる小さな河が三本連なり、三角州を作って
いた場所が、かつての三峡の商店街です。
この地では、かつて、樟脳・布(染色技術が発達していた)木材・お茶などが船を使って台北まで運ばれていました。
これらの物資は戦前非常に高価なものとして扱われていたため、高値で売れ、この三峡老街は富裕層の町として発展したようです。
 「清水祖師廟」は1767年創建の由緒ある建物で、李梅樹により再建されています。

 台湾の三大祖師廟ともいわれる、由緒ある廟。
三峡の清水祖師廟は、台湾で最も美しい祖師廟といわれ、参拝客が絶えることが無いようです。

清水祖師廟は、建立されてから三度、大規模の修復が行われました。
 一度目は、台湾北部を襲った大地震により損壊し、1833年に修復されました。

 二度目は、1895年に日本軍が三峡に侵入した際、興隆宮とともに抗日の拠点となったため、日本軍の焼き討ちにあい、
三峡の街ごと焼失。1899年に、再建されたようです。

 三度目の修復は、積年の傷みを修復するためのもので、1947年に始まりました。
修復の責任者は、台湾のアントニオ・ガウディと呼ばれる、芸術家として名高い李梅樹教授で、彼は1983年に亡くなりましたが、
修復は今も続けられており、後殿は現時点で再建中です。
  山門  お供え
 本殿
 台湾の廟は石の彫刻が見事ですが、ここのもかなり手が込んでいます。
 清水祖師は、陳昭應という名の軍人で、宋時代に活躍した英雄。
また一説には、清水祖師は宋時代の僧侶で、雨乞いや予知などに、すばらしい法力を発揮したようです。
  
清水祖師の別名として、「烏面祖師」「落鼻祖師」などがあります。これは妖怪に燻されたとき、顔が黒くなったものの、
体は無傷であったことから「烏面祖師」、天変地異が起こるときに、祖師像の鼻が落ち、終わると元通りになることから
「落鼻祖師」と、いわれるようになったそうです。
 狛犬
 豪華絢爛な本殿。