■三国志ゆかりの地 街亭古戦場跡   2018.1.1 
   
 ◆ 天水から、泰安地区に
 高速道路から一般道に入りスタンドでトイレを借りる   周囲に台地が続くが、その中を進むことになる
 とある集落の建物   良く見ると屋根の上に立派な大棟が有った。
 背後の山は、開拓して樹木を植えているようである   ここには人が住んでいるのかな?
  携帯のアンテナ   スマホに関係なさそうな農夫
  時々こんな集合住宅が見えます。
例えば電気を引くにも都合が良いので推進しているとか。
 バスでも待っているのだろう
  突然見えて来たのは変電所か?   写真右端の看板が「村名」の表示。「小河村」とある。
  レンガ工場の様だ。  
 回族の人々   白い帽子が目印になる。
   
  ◆ 泰安地区 街亭古戦場遺跡
   
  天水の「麦積山石窟」を観光し昼食を取った後、バスで3時間程移動「秦安」地区に入る。
この辺りは、モスクが見えるなどイスラム教徒の「回族」が目立つ地区の様だ。
 
 やがて、目指す「街亭」に入る。 山道を登って「街亭古戦場遺跡」の石碑のある場所に到達した。
  街亭は、魏の食料・物資の供給路の一つである。

諸葛亮は馬謖に、ここの警護を任せる。
それに当り、馬謖に絶対守る様に言ったのが、
「下の街道沿いに陣をはり、絶対山の上に陣を張ってはならぬ」だったが・・・

 馬謖はこれを守らず、山の上の方が敵の動向が良く見えるし、戦略上優位に闘えると勝手に判断し
この山の上に陣を張った。

 諸葛亮が懸念した通り、魏の軍は、麓から火を放つなどして馬謖軍は敗退する。
 街亭の石碑
 石碑裏面に、「諸葛亮、泣いて馬謖を斬る」の有名な事項が彫られている。
 
有能な部下ではあったが、自分の命令を守ら無かった馬謖をそのままにしておくわけには行かず
「斬首」して、その責任を取らさざるを得なかった諸葛亮の心情を表している。
 石碑からの階段は途中で切れていて、農道を伝って下の村に下りた。

ガイドが、通りかかった村民に事情を聞くと・・・

『地方の責任者が、地域振興のために石碑を移動し階段を途中まで造ったが、資金が底を突いた。
上部に申請するも、居住住民の移転補償金とかの工面が叶わず、計画は頓挫してしまった』
 
との事であった。

 写真右上は、地区の「養老院」。
  
 バスが待つ場所まで、ほんの少しであるが村内を見て歩いた。

右上の写真は、「劇場」の様である。