■ 莫高窟(ばっこうくつ)・敦煌 @ 2019.1.1 
   
 中国五大石窟
  五大石窟(三大石窟は、敦煌・莫高窟、雲崗石窟、龍門石窟)の凡その位置と、その写真。 「バツ印」は、三国志の遺跡地。
 上の一部写真は、Photolibraryさん の無料素材から拝借
 
   
    2019年の元旦、中国敦煌の莫高窟の観光。
 中国での仏教の歴史を見てみると
漢は強大な国家で儒教を保護していたので、仏教が伝わっても広がることはなかった。
4世紀、後漢末期に『三国志』の時代を迎えると、混乱の時代がはじまる。

386年に北魏の太武帝が中国北部を統一。次の文成帝が仏教を保護すると、
インドの石窟を真似て盛んに石窟寺院が造られた。

中国三大石窟である雲崗、龍門、莫高窟はすべてこの時代に本格的な建造がはじまった。
 
  
  敦煌は、漢民族、チベット族、モンゴル族など様々な民族に
支配されたが幸いにも石窟の造営は366年から継続継続して
造営され地理的にも極めて乾燥した地帯に存在し、
仏教勢力下にあり、イスラム教徒による損傷も受けずに
存続できた。

 現在確認出来た石窟の数は734窟に上り「中国仏教美術史」を
一か所で学べてしまうほどだそうだ。

  センターで2本の映像を閲覧した後、シャトルバスで莫高窟へと向かいます。
  バスの乗車は凡そ15分ほど。黒い石が見える「黒ゴビ砂漠」を進み鳴沙山(めいさざん)という山の
東側の岩壁を掘って築かれている莫高窟に到着。
 
 唐の時代、莫高窟には千以上の洞窟があったが、現存する洞窟は492カ所。
そのうち魏窟32個、隋窟110個、唐窟247個、五代窟36個、宋窟45個、元窟8個が残されている。
 現在公開しているのは、約40か所で、その内8か所程度をガイドが選定して案内している。
 
莫高窟の前を流れる「大泉河」はカチコチに凍っています。
  莫高窟の全体図  右手の駐車場から中央部の出入り口から入り、
第96窟の9層楼までを観光します。
 
  外部の撮影可能ですが(※)内部は一切撮影禁止なので、内部の撮影写真はありません。
 (※ 2023年1月現在 ネットで見ていると、入場時にカメラ類を入り口で預ける必要があるとの記事が多いです)
 
尚、一部外壁に壁画が残っているものや、説明の為「写真表示」されていたものは撮影してきました。
 ◆洞窟内部の説明
 

  そもそも写真撮影が出来ないので、
どう説明・記憶にとどめておくかが難しい。

 だが、どんな雰囲気だったかを「説明・記憶」するために、
写真撮影が可能な天水市の「麦積山石窟」及び
蘭州市の「炳霊寺石窟」の写真を使って
説明しておきます。

  尚、下に例示した写真の洞窟は、狭く小さいですが
今回見学した洞窟は、ツアー客21名が一室に入り
見学ができるほどの大きさがあります。

 左の「構造図」は、稚拙ですが
大体こんな感じかなぁ!!と感じ取ってもらえれば。
 
 洞窟の内部は、基本的に仏像と壁画が描かれています。
日本では見ることが少ない二大弟子が配置されます。
 上の写真は、麦積山石窟の仏像配置。
  天井にも、仏画などが描かれますが、「飛天」も
多いです。
 上の写真は、蘭州 炳霊寺10窟 「樹下説法」の場面。
  炳霊寺11窟。
釈迦以外の仏像は破壊されていますが両側に菩薩。
  左の写真の、左右の菩薩を取り出して見ました。
頭上に王冠を載せています。
   
  莫高窟と書かれた扁額   大牌坊= 日本で言う山門
  山門の中に有った「飛天像」   ホテルロビーの飛天像と絵。
顔が黒いですが、顔料に鉛が入っているので酸化し
莫高窟の壁画は、黒いのが多い。
 洞窟内に描かれている飛天は、男も子供もいました。 飛天は重要な役割をしているようで多数あります。
  ホテルロビーの仏像や背景画は、莫高窟の絵を模写しているものと思われる。
 
  ◆実際の洞窟鑑賞
  見学は現地ガイドの指定で見て歩くことになり、今回は8窟で平均的な数の様です。
内、2つの「特別窟」=45、57を含んでいます。
  観光用の入口  外部壁画-第36窟
  第36窟 左上  同左 右上
  第607窟の上 飛天かな?   同左
  一番最初の入窟は第29窟<晩唐>。
伏斗形方窟で、前室壁に羅沙門天、瑠璃天王、千仏
が描かれる。西夏時代に修復された。
  近くの第365窟
 第365窟。  両側に壁画が。   左上
  右側   アップした右側