■ 吉野ヶ里歴史公園 ① (佐賀県)  2018.11.4 
   
  大正時代から部分的に発掘調査が行われ、平成元年工業団地開発に伴い大規模発掘調査され
現在に至っている。
 我々の時代は、「卑弥呼」のいた「邪馬台国」ではないかと大いに盛り上がりましたが・・・
今現在、邪馬台国の特定はされていません。

 しかしながら、十分にロマンを感じさせる施設ではある。
 入口   橋の上から見た北内郭
  銅鐸   今回の散策ルート。   南内郭-北内郭-北墳丘墓
  逆茂木の復元展示   コメ作りが盛んになり、集落を守るための施設
  「南内郭」から見物です。
  櫓門。四方に盾が置かれ兵士が守る。  
  見張りの櫓門の中に入る。   柵の内部の堀と鳥居をくぐる。
  ボランティアガイドの説明を受ける。
遺跡は、発掘の状態を忠実に復元しており、後年に耕地に開拓されて建物の杭跡とか見つからない部分は
原っぱのままにしている。
    散策路の左手が若干低くなっているが、田圃か畑として開墾されてしまった跡だと言う。

物見櫓は、帰り道に登ってみた。下の写真がそうである。
  南内郭の外側、南側の風景。
  南内郭の西側、「倉と市」のエリアと、右上は南内郭の内部・北西部。
    物見櫓付近の「大人(たいじん)」の家。
  その隣の「機織りの家」