■ 今井町-1 / 奈良県橿原市
 今井町は、「寺内町(※)」として平成5年に重要伝統的建造物群保存地区にされています。
※寺内町= 中世の終り頃、浄土真宗本願寺派などの寺院の境内地にきずかれた集落で、寺院の四周に堀を巡らせ
 土居をきずいているのが特徴。当時は、裁判や諸公事などで独自に町を運営していました。税制面などの経済的特権
が認められ、多くの庶民も移り住んだようです。
 
 もともと興福寺の荘園として文献上登場。1,532年からの1,555年間に、一向宗本願寺の坊主が寺内町を建設し、門徒
が称念寺を開き、自衛上武力を整え、壕をめぐらし、都市計画を実施した。
現在、壕は道路として埋め立てられます。「華甍」の脇に作られた掘が往時の雰囲気を伝えています。
 
 今井には、近在から商人が入り特に繰綿・古手・木綿を中心に多いに栄え、その中から両替商を営み大名にも金銀を
貸す者もあらわれ「今井札」の発行が幕府から許可されたほど。
「大和の金は今井に七分」と、言われるほど繁栄した町です。
 
尚、上の案内図でも分かるように町内の通りは必ず一度屈折して軍事的配慮がなされています。
 今井まちなみ交流センター・華甍(はないらか)
  旧・高市郡教育博物館
「明日香川 しがらみ渡し 塞(せ)かませば 流るる水も
 のどかあらまし」  柿本人麿の歌碑 
  2010年9月18日、午後4時20分過ぎですので華甍に立ち寄って、地図案内図を入手し急いで散策です。
 高木家
高木家は、屋号を「大東の四条屋」といい、酒造業を営んでいた。
切妻造本瓦葺平入2階建てで、前面の格子は細く、吹き寄せのところもあり幕末の家らしい造り。幕末期の2階の
発達した今井町上層民家の好例と言われています。
 河合家。
屋号「上品寺屋」い言い、酒造業を営んだ。
   
 今井景観支援センター
 米谷家  吉村家(右手)