■ 平城京跡(平城遷都1300年祭会場)-1     /  奈良2010.9.18-20  G
 奈良観光最終日、宿とした大阪・天王寺のホテルを少し早めに出発しJR奈良駅ロッカーに荷物を預け、世界遺産
・元興寺を見ようかなと思って訪れたら・・・9時からの開場とのことで門扉は閉まったまま。
諦めて、近鉄奈良駅に向かいました。
 元興寺から北に向かうと細道の商店街が有りましたが、ここは『餅飯殿(もちいどの)センター街と言い、三条通商店
街、東向商店街、小西通商店街と並んで奈良を代表する商店街のひとつだそうです。

  
 平城京跡会場への無料シャトルバスは、JR奈良駅前からと、もう一つは近鉄・大和西大寺駅(近鉄奈良駅から2つ
目)から出ていますので往きは大和西大寺駅コースとして、帰りはJR奈良駅コースをとることにしました。
 近鉄奈良駅前広場には、陶製(赤膚焼)の行基像があります。

行基(668―749)、名前だけは知っていたもののどんな人物なのか?
 
奈良時代、社会事業に尽力した法相(ほっそう)宗の僧。
薬師寺の僧となり、土木技術の知識を学び、各地に橋を架け、堤を築き、池や溝を掘り、道をつけ、樋(ひ)を渡し、
船息(ふなやど)をつくった。
こうして、「民衆」を惹き付けた為、朝廷から迫害も受けたが、最終的には朝廷も彼の力を借りることになるのである。

奈良・東大寺の大仏建立に当たって絶大な民衆への影響力により、大仏造営費の勧進(かんじん)に起用され、
745年(天平17)78歳で大僧正に任ぜられ、仏教界における最高の地位を占めた。
僧正は以前からあったが、行基が大僧正の初めだそうです。
残念ながら大仏完成の3年前、天平(てんぴょう)21年2月2日、菅原寺(すがわらでら)で82歳で没した。
 
 平城京跡地(朱雀門の北側)を近鉄が斜めに横切っています。
この辺りは、鎌倉時代あたりから田畑になって平城京跡地はすっかり人々の記憶からかき消されてしまったようです。
江戸時代末期、棚田嘉十郎(たなだ かじゅうろう)という人物が私財をなげうって買収活動を始めたのが復活の始め
だったようです。
 9時15分頃、シャトルバスはエントランス広場に到着、折角来たのだから「平成歴史館」も見ようと整理券を貰ったが
・・・
イベント(フェスティバル)期間外で有ったが3連休の最終日で、「10時20分入場」の整理券。
  
 この整理券方式、この広い会場を見て歩くのにはかなり行動を制限される。
 
遥か向うに見える大極殿を往復してくると、1時間かかるので一旦ここまで戻ってくる必要が有るが、効率的に周るに
は戻らずに周回した方が良い。
 さて、先ずは朱雀門から見て回ることに。
平成10年に完成した朱雀門、過去に、バスの車窓からちらっと2回見ていたが、間近に見るのは初めて。
高さ22m、間口約25m、奥行き10mありなかなか立派です
 扁額  内部
 朱雀門からは、真っ直ぐ第一次大極殿まで行けず、くねくねと曲がって誘導歩道を歩いて行くことになります。
先ずは、近鉄の踏切を越えて右に「第一次朝堂院」跡地を眺めながら進みます。
 前庭の門に到着です。 300円で1時間天平衣装の貸し出しも行われています。
 平成遷都1300年祭に合わせ10年間の工期をかけて今年(2010年)完成した第一次大極殿