■ 京都 源義経ゆかりの鞍馬山・鞍馬寺
 2005年NHK大河ドラマ『義経』が放映されます。
青年時代(16-22歳)を過ごし31歳非業の死を遂げるみちのく平泉に近
い管理人としては親しみを感じている武将です。

 ご存知の通り、義経の「北方伝説」は影武者を平泉に残し、妻子と
弁慶を伴い岩手県沿岸部から青森県を経て北海道に渡り、シベリア
にまで逃げ延びたことになっている。そして果ては元のジンギスカン
=義経説までに英雄伝説は発展していく。

 民衆が愛惜して止まない英雄義経伝説、そんな義経が少年期を過
した京都・鞍馬山を訪ねてみました。

 京都北部、出町柳駅から叡山電鉄に揺られて30分、鞍馬駅に到着
すると大きな天狗が出迎えてくれます。
訪問したH16.12.30日、前夜の雪が残っていました。

仁王門 多宝塔
本殿金堂 息継ぎの水。牛若丸が喉を潤したといわれる清水。
背比べの石。奥州に出立する前に名残を惜しんで背比
べをしたと伝えられる石。高さ150cm程のこの石と背丈
は同じぐらいだったと言うから身長は低かったようです。
司馬遼太郎の『義経』で、牛若丸が「源氏の大将の子」で
あることを告げられる場面に選ばれた不動堂。
 
 不動堂、義経を祀る義経堂が有るこの一帯が僧正ヶ谷。この辺りで剣術の修行を行っていたと言う。
奥の院に至る木の根道。ここも牛若丸が修行に使ったり
貴船神社へ祈願するために通った。
奥の院魔王殿。魔王と言うと悪魔を連想しますが、鞍馬山
のは悪い「魔」を打ち払う尊い魔王さまと言われる。
由岐神社(ゆき)。この右手に牛若丸が寝起きしていた
東光坊の跡が有ります。
  
鬼一法眼社(きいちほうげんしゃ)。陰陽師の鬼一法眼、
「兵法虎の巻」を所持していた。牛若丸の借用申し込み
をも断ったが、後に牛若丸の手に入る。