■ 滋賀県長浜市の町並み その1
 長浜は古くから琵琶湖湖畔に開けた町で今浜と言われていました。
豊臣秀吉が初めて一国一城の大名となり『出世城』と呼ばれる長浜城を築き、地名も長浜に改めました。
城下には楽市楽座をしき、『町屋敷年貢免除』の朱印状を授けました。この特権は明治維新まで続き長浜発展に寄与しました。この制度が
適用されたのは全城下では無く長浜町内52町の内35町で現在の商店街のあたりを中心に長方形に設置され、その境界には↑上のような
境界線が示されました。
 朱印地南端の「明治ステーション通り」と北国街道角にある船板塀の建物。  Map
 この近辺にも一文字瓦、黒漆喰塗りの虫籠窓、出格子、駒寄せなどの設えがある町屋作りの建物が有りました。
 北国街道に沿って北上すると駅前通りとの角に、『安藤家』が有ります。  Map
ここで言う『北国街道』は、京都と北陸や東日本を結ぶ道で、中山道の鳥居本宿の北、下矢倉から分かれて近江・越前・加賀・越中の諸国
を通って越後の国に至る街道。湖北地域には、米原・長浜・木之本・柳津・椿坂・中川内に宿駅を置きました。
 長浜町内に10の組が置かれ、組を代表する町年寄役たちは十人衆と呼ばれ、安藤家もその一人でした。
明治以降は近江商人との縁戚関係から自らも商いを起こし、東北地方を商圏に長浜産物の交流に務め栄えたとの事です。
内部の二階座敷から庭「古翠園」を眺めます。
 離れの「小蘭亭」は、北大路魯山人が画いた襖絵などが有りますが、内部には入れません。広間にサンプルが展示されています。
欄干や渡り廊下の手摺など手が込んだ造りが見られます。