■ 「水の町」 郡上八幡  その1  岐阜県/古い町並み散策
  ◆その1  …この頁
  ◆その2  …柳町などの古い町並み風景
  ◆その3  …宗祇水、やなか水のこみち等の風景
  
『水の町』郡上八幡
長良川に合流する吉田川と、それに合流する小駄良川(おだらがわ)の谷間に、1559年遠藤盛数が
八幡山に城を築いたのが城下町の始まり。
4代城主遠藤慶隆が城下町としての整備を行い、1652年の大火で焦土と化した町並を再建す
るために6代城主遠藤常友が1667年から4年がかりで小駄良川の上流から水を引き込み城下に縦横に水路を
走らせ、生活用水と防火対策とした。この整備事業は、代々城主に引き継がれ現在の町並が形成されてきた。

『郡上おどり』
 また、毎年7月中旬から33夜にわたって踊られる『郡上おどり』は、4代城主が、あちこちで踊られていた
盆踊りを1つにして城下で踊るよう推奨したのが基礎になっています。
そして、この郡上おどりの特徴は「見る踊り」でなく「踊るおどり」で、地元の人も観光客も一緒に踊ります。
   
 この城は、昭和8年に「大垣城」を模して造られた物(木造最古)であるが石垣は当時のを補修したもの。
石垣は、乱雑に積み上げていそうでバランスは取れている。小さな石(実際は長い柱状)は、万が一の場合
引き抜いて武器として使える様になっているとのことである。(歴史に詳しいタクシーの運転手さんから聞きました)
 城跡から見た郡上八幡。手前の吉田川と裏手の山に囲まれ、お魚の形をしている。
山は、開発で削ることなく野生動物が生息し、町の中にはコンビニも量販店も無いとのことです。
 長良川鉄道・郡上八幡駅からは少し離れているのと城山に登るのに20分もかかって、ちと辛いので
駅からお城までタクシーを利用しました(正確には、郡上八幡城を往復して下の博覧館まで)
 
 ↑タクシーの運転手さんから、『小学校の教科書で見たことを憶えていますか?』と質問されましたが、
忘却の彼方!
ここは、一揆が成功した珍しいケース。首謀者が分らないよう円形で血判を押した。(本物は楕円形らしい)
 この地は、山内一豊の妻・千代の生誕地で城山の
下に銅像が有ります。
 ↑雨は本降りになってきたが、発祥祭の準備は
着々と進められていた。
 そもそも今回の旅行は、どうせ郡上八幡を訪れるなら「郡上おどり」も一緒に!と計画したものでした。
2007.7.14(土)は、三連休の初日でしかも郡上踊りの初日「発祥祭」の日。しかし、この時期の台風としては極めて大型の台風4号が接近しつつ
あり、雨でした。『警報が出ない限り踊りますよ』とのタクシーの運転手さんの言葉に心は揺れて、「郡上八幡旧庁舎記念館」前で暫くうろちょろし
たが雨は強くなって来るばかり。夜8時まで待てず断念しました。念の為、「郡上八幡博覧館」館内の案内を撮影してきましたので”さわり”だけ。
 
 「ビジネスホテル」を探したが、ここ郡上八幡には無く、長良川鉄道沿いに南下しながらやっと関市に見つけた。ここから、一時間ほどかかるの
で天気が良ければ8時スタートの踊りを少し見て、8時49分の最終で帰るつもりだった。
タクシーの運転手さんに聞くと、日本旅館と民宿は多いらしい。『関市のホテルをキャンセルして郡上八幡に宿泊したら?』との誘いも受けたが、
翌日の予定も組んであることだし、一人旅ではビジネスホテルの方が何かと面倒くさくなくて良いことから断った。
   
 2015.年秋田県羽後町で「盆踊りフェスティバル」が開催されていてその時の踊りを載せておきます。