■ 高岡市山町筋
 1609年、加賀二代藩主・前田利長が高岡に隠居城と城下町を造りましたがその時に商家町として形成されたのが
山町です。その後「一国一城令」により高岡城は廃され武士団は金沢に引き上げたが、三代藩主・利常は町民の転出
を禁じ、商工業の町に転換させる方策を取った。以来、高岡は越中における米や綿などの集散地として繁栄した。
「山町筋」とは、山車・高岡御山車を保存継承する10か町に由来し、旧・北陸道の町筋を指す。   Map
 山町筋の土蔵造りの町並は、明治33年の高岡大火により、耐火構造での建築が始まったことによる。
写真上は「旧・室崎家住宅」は綿糸や綿布卸業を営んでいたが、現在は高岡市が資料館として整備し公開している。
写真右上は、内部の「仏間・本間」。内部は繊細な数奇屋風に仕上げられている。
 道路向いの小馬出町の景観  
 『菅野家住宅』  北海道の通商などで財を成した建物。明治33年の大火直後に建てられる。
当時の一般住宅は、250円で建てられたそうでこの菅野家は100,000円の大金が投じられた豪勢なもの。
 写真は、上の左から「ホンマ」、「ホンマ」のシャンデリア、庇天上のランプ飾りの鏝絵
 写真は、上の左から鋳物支柱と軒丸瓦の家紋、シャチや雪割そして雷紋を施した箱棟、釉薬をかけたレンガの
防火壁と石柱。
  メモするのを忘れましたが、こちらのお宅も素晴らしい。
 丸いポストと、こんな建物が郷愁を呼びます
 守山町にも幾つか土蔵造りの建物が有りますが、見所は「赤レンガの銀行」で、大正4年の建造。  Map