■ 弥彦神社 2012.11.10
 御祭神は天照大神の孫である天香山命「アメノカゴヤマノミコト」で住民に海水から塩をつくる技術、漁、稲作など農耕術などの
基礎を教えられたとのこと。産業の神様として崇められている。
 
尚、参拝方法は「二拝四拍手一拝」となっています。
鳥居を過ぎると石の神橋を渡りますが神様は別の橋を渡ります。  丁度時期的に七五三ですね。
 また、菊祭りも開催されていました。
 一の鳥居を進むと正面に宝物殿が有ります。
かつて、宝物殿の前の庭に本殿が有りましたが現在の本殿はここで左折します。
 宝物殿の脇にあるのが「津軽の火の玉石」。
参拝時に願い事を念じながら石を持ち上げると、軽く持ち上げられれば願いが叶うと言われています。
年配の男性が、奥様に「もう止めなさいよ。他の方に迷惑だから」と制止していた。
 その後、女性が試したところ簡単に持ち上がった↓事からすると、相当難しい願い事をお願いしたらしい。
 
 江戸時代初め頃、弘前城主津軽信牧が江戸から帰国する途中、佐渡沖を通過する際暴風雨に遭い、船が転覆しそうになった。
そこで海上から弥彦大神に向かって「鳥居を奉納するので助けて欲しい」とを誓って祈ったところ、海は静かになり、一同は無事に
帰国できました。
 それからは、毎年使者を遣わして礼参を続けましたが、肝心の鳥居奉納を失念していました。暫らくすると城内を二つの火の玉が
大きなうなり声を発しながら飛び廻るという怪異が、毎夜起るようになりました。火の玉の正体は人の頭ほどの石でした。
信牧は、弥彦神社に誓願を果たしていなかったことを思い出し、1617年9月、大鳥居を奉納し、火の玉も飛ばなくなりました。
この霊威を示した火の玉石も、鳥居の奉納と共にいっしょに弥彦神社に納められました。
と言う伝説のある石です。
皆さんが試されるのでしょう、台となっている石が磨り減っています。
 弥彦菊祭りのメーンは「天岩戸」のシーンですね。 左が天照大神が岩戸を明けたところ、右の柱は「天の御柱」。
 古事記(こじき、ふることふみ)は、712年(和銅5年)に編纂されましたので今年1300年になるようです。
 二の鳥居  神馬舎の木製の神馬
 参道の両側には菊の展示が続きます。
 随神門から本殿の境内に入ります。
 本殿の拝殿。背後の弥彦山も丁度紅葉の綺麗な時期になりました。
 素晴しい菊の展示を鑑賞しながら境内を散策です。
 
 盆栽作り
 懸崖作り