■ 赤い靴はいてた女の子・きみちゃん像 / 麻布十番
 麻布十番のパティオ通りの「パティオ十番」と呼ばれる小公園の西端に、その存在を知らなければ通り過ぎてしまい
そうな小さな小さな像があります。
信号の後ろ、街灯の下、カシワヒバの鉢植えの有るところの像がそうです。
 
 赤い靴はいてた女の子像。本名「きみ」ちゃんである。
今から100年ほど前の1902年私生児として生まれ、翌年母親と函館に渡る。2歳の時に母親は再婚し、開拓ために
入植するが、病弱な「きみ」は入植には耐えられないと判断、米国人宣教師の養女となる。「きみ」6歳の時、その
宣教師に帰国命令が出て、結核に侵されていた「きみ」は東京麻布十番の鳥居協会の孤児院に預けられる。
3年間の闘病生活の後、きみちゃんは9歳で天国に召される。

    赤い靴はいてた女の子 異人さんにつれられて行っちゃった
       今では青い目になっちゃって 異人さんのお国にいるのだろう    
…(著作権消滅により記載)

 きみちゃんが亡くなって10年後、母親が再婚した鈴木某の知人、野口雨情によって『赤い靴』が作詞されるが、母
親も野口もこの事実を知らず、「きみちゃん」はアメリカに渡ったと思っていた。
  
 時は下り、1973年父親違いの妹岡そのが北海道新聞社に『姉の赤い靴の女の子』のその後の消息を調べて欲しい
と投稿、北海道テレビの記者・菊地寛が、5年に亘り女の子の実像を調べ追跡結果を1979年に出版して事実が公表
されることになります。
 きみちゃんの亡くなった孤児院、それは明治10年から大正12年まで麻布永坂にあった鳥居坂教会の孤児院でし
た。
今、十番稲荷神社のあるところ、旧永坂町50番地にあったこの孤児院は女子の孤児を収容する孤児院でした。
丁度、今年(2009年秋)から導入されたオープンバス「オーソレミオ」が↓十番稲荷神社の前を通過です。
 十番稲荷神社