■ 東京の下町散策  葛飾柴又
 葛飾柴又と言えば『寅さん』で余りにも有名になった場所。
映画を通じて心の中にしっかりと刻まれてしまっている寅さんの故郷では有りますが、元々は帝釈天の門前町として
栄えていた町です。 
 映画での、フーテンの寅次郎が帰ってくると暖かく迎える温かい隣人や人情豊かな下町情緒。
そんなロケーションを持つ場所の選定に苦労したようですが、やっと辿り着いたのがこの地、葛飾柴又でした。
電車が走っていて駅があり、生活感溢れる町並み、そして河原と堤防、ふと見ると小さな船の渡し… 
 柴又駅を降りると直ぐに寅さんの銅像に出会います。
駅前から門前町を進むと、その名も『とらや』が有り、二階への階段がロケにも使われたとか。
ちなみに、オジサンが焼いている焼草団子は私が注文したものです。
 ↑ マウスを当てると銅像のアップ写真が出ます。 とらやを振り返るような寂しい表情の寅さんです。
 駅前から帝釈天への参道が続き、両脇には団子屋さん、お土産屋さんなどが続いています。
昔、帝釈天への参拝客。今は寅さんの追っかけ。 客の目的は違っても、客を目当てのお店は昔も今も健在です。
 かなりの建物が最近建て替えられたものでしょうが、それでも下町の風情は残っています。
 帝釈天。その辺に寅さんが居そうです。
 駅から真っ直ぐに歩けば10分ほどで江戸川堤防に出ます。そこから少し右手に進むと『矢切の渡し』へと向かう道
が有ります。
 【矢切の渡し】
 対岸には、伊藤左千夫の名作『野菊の墓』の散策路が整備されています。

 【野菊の墓】

 矢切村の旧家の政夫は13歳、家の手伝いに来ているいとこの民子は2歳年上で、仲良しだった。ある日、二人で
山畑の綿を取りに行った。政夫は道ばたに咲いている野菊を見て「僕は野菊が大好き」と言う。それに答え民子は
「私は野菊の生まれ返りよ」と返し、政夫は「民さんは野菊のような人だ」と野菊に託し民子への愛を告白した。

 周囲のうわさを心配した母は政夫を早めに中学に行かせる。政夫は「僕は民さんの思うとおりになるつもり」と書い
た手紙を渡し、小雨降る矢切の渡しでふたりは別れることになる。

 その後、民子はうわさを気にした母の勧めで意には添わない他家へと嫁ぐことになるが、産後の肥立ちが悪く亡く
なった。死の床で民子は政夫の写真と手紙を手に握りしめていた。それを知った政夫は民子の墓に7日通い周囲の
一面に野菊を植える。
 矢切の渡しから東側に進んだ堤防脇に『寅さん記念館』が有ります。
舞台なった下町ミニチュア、とらやの店内風景と映画に関する資料が展示されています。
 プリクラの一種で、寅さんと一緒に記念撮影(500円)も出来ます。記念に一枚撮りましたが肖像権の関係と、私の
顔を公表するわけにもいかず、ここには載せられません。
 寅さんのカバンと帽子です。
近くには、大正末期から昭和初期に建てられた「山本邸」が有ります。