■箱根神社-「神仏習合」のリーダー満巻上人創建  2019.3.21 
   
 箱根・芦ノ湖で海賊船に乗り、富士山観賞と箱根神社を参拝するはずでしたが・・・
風雨が強く、海賊船の運航は中止でした。
 駄目と言われると、かえって乗りたくなるものですが「折りたたみ傘」を壊してしまったものの
何とか、停泊中のビクトリー号とロワイヤルⅡの撮影成功。
 
 左上の写真は、フリー写真の「PhotoAC」より
 2007.10.6撮影(乗船はしていない)のビクトリア号   ロワイヤルⅡ号
   
 ◆ 箱根神社- 「神仏習合」の立役者・萬巻上人が建てた神社
 2007.10.6撮影、湖岸の箱根神社の鳥居   中腹のバス駐車場の鳥居と、手水舎。
  日本への仏教伝来は西暦550年頃と言われています。
 
 他の国々では新しく「宗教」が出来ると主導権を巡って戦いが起きることが多かったのですが、
そんなことが無かった日本。
 
 古来、太陽などの天体、山岳等の自然、田畑、先祖まであらゆるものに「神様」がおられた日本。
仏教も、他の国から来た「神様」の新人とも捉えられ200年ほど、そのまま共存していました。
 
 箱根山の駒ヶ岳の神山をご神体として箱根神社を建てて、仏教(とりわけ修験道)を習合したのが
「萬巻(まんがん)上人」でした。
萬巻上人は、仏教を普及して歩いていたことにより地方で神と仏の習合が着々と進行していました。

  (※)本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)=
     日本の神々と大陸から伝来した仏教を融合させた日本オリジナルの宗教信仰法のひとつ。
     奈良時代から始まっていた神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という
     信仰行為を、理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論で、平安時代に成立しました。

     その意味とは、
     神様の立場を「本当は仏教の仏です(本地)が、日本では神道の神としてやってます(垂迹)」
     ということにして、両者を共存させたもの。

 
 聖武天皇は、「仏教の力」で国家の安定を図るべく奈良に大仏(東大寺)を造ることになりましたが
仏像に塗付する「金(きん)」が不足していたため使いを唐に送ることになり、途中、九州の宇佐の八幡様・
宇佐神宮に立ち寄りました。
そこで『この国から産金するので、使いを唐に行ってはならぬ』とのご神託が有りました。
 
  宇佐神宮のご神託通り、今から1200年前(749年)の天平21年宮城県の涌谷町で砂金が採れ
900両が献上されました。<写真は涌谷町の黄金山神社と天平ロマン館>

聖武天皇は日本初の産金を多いに喜び、年号を「天平」から「天平感宝(てんぴょうかんぽう)」に改元した。
また、これを伝え聞いた大伴家持は、
「すめろきの御代(みよ)栄えむと東(あづま)なるみちのくの山に金(くがね)花咲く」の歌を万葉集に残した。

 奈良大仏の開眼供養の際は、宇佐神宮から「巫女」が訪れて参拝しました。
つまり、神様が仏様をお詣りしたのです。 

聖武天皇は東大寺の傍に手向山八幡宮を守り神として勧請した。全国の八幡宮の第一号の分社です。
 昨年5月、NHKの<歴史秘話ヒストリア>「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」が放映され
いつか箱根神社を参拝したいものと思っていましたが今回実現しました。
  本来、神道の天皇が仏教を信じ国の平安を願うことが起きて、神と仏の習合(ゴチャマゼ)と言う
日本独特の宗教の形が生まれました。
明治政府の「神仏分離令」により、神社から仏教色を排除(廃仏毀釈)するまでの約1000年ものあいだ
ゴチャマゼしていた日本人、神仏分離した後の現代でも、神社に参拝したり寺院に行ったりしてますね。
 手水舎  長い階段 
    階段を登りきると神門に到着です。
  神門  
  神門前の左手   神門前の右手
  神門から中に入り、ご本殿前の左右  
  ご本殿。 激しい雨が降っています。  
  神門の右手に、九頭龍神社・新宮があります。
    御朱印