■ 大子町 その1   /  茨城県
 茨城県の北部、大子町(だいご)は、古くは保内郷と呼ばれ、藩政時代には水戸藩の陣屋が置かれていた。
ここには水戸を基点として南郷(現在の福島県塙町、棚倉町)に至る道「南郷街道」が通っていた。重要な街道では
有りましたが、久慈川流域の峡谷を通るために険しい山道で、公用には用いられず商人や一般人が通る道でした。
奥久慈の特産物、和紙・こんにゃく・お茶などをこの街道や久慈川を使って運ばれた様です。
 温泉(大子温泉および袋田温泉)が何時ごろから出たか分かりませんが、明治時代になって鉄道網が整備され始
めるとどうしてもここを通す必要がありました。その功績で水郡線・常陸大子駅前のロータリーには明治時代の代議
士・根本正の胸像が有ります。 ↑今、何処のローカル線も車社会の影響で廃線をも含め厳しい環境下にあります。
駅舎の『みんなの足だ、水郡線』のスローガンにもそんな一面が垣間見れます。
 所謂古い町並みの痕跡は消えてしまっていますが、『美人の湯』として人気のある温泉旅館が町中や久慈川沿
いに点在。駅前にも、人気の駅弁『しゃも弁当』を販売している玉屋旅館などがあります。
 初めに、駅前大通(栄町)の北側の本町(もとまち)通りから金町方面に向いました。
昭和時代に流行った『看板建築(※)』の商店が続きます。 
↑ 右上の写真のお店、「たばこ」の看板が4個有ります。また、窓硝子にステッカーが一枚貼ってあります。
  
※看板建築= 関東大震災の後での区画整理時、道路拡張のため屋敷の敷地を減歩(削られる)された商店では、
従来の庇を出して店構えをすることを止めて、店舗面積を確保するために前面を現在のコンクリート造りの様に
垂直にしました。
名前は看板ですが、広告看板を出す訳ではありません。そして、内部は昔どおり和風の町屋造りの形式を残しま
した。これが、日本全国に展開されたようです。
 数は少ないですが土蔵も見られます。
 
 やがて、元・常陽銀行の建物を活用した「街かど美術館」に出ると金町通りに出ます。