■山形県 酒田市 その1(酒田港界隈)    
  
 酒田市発展の起源は、1189年平泉滅亡の時、鎌倉からの追っ手から逃れて藤原の秀衡の遺臣36騎に守られた
一女性が庄内に入り、やがて酒田の袖浦にきた。この女性が徳尼公であり、秀衡の妹又は後室とも言われている。
 徳尼公没後36人は地侍として力を合わせて町造りを行い、その後その子孫が36人衆として町政に参加し、自治
自営の精神が生まれ、その伝統を受け継いでいった。
 1672年、河村瑞賢により西廻航路が整備されてから、酒田湊は日本海海運の要衝として繁栄を極めた。
この海運・北前船商取引は36人衆を中心に行われた。
 時代が下って庄内藩に入るが、鶴岡城の他にここ酒田にも亀ヶ崎城が置かれた。写真は奉行所跡地。
■ 山居倉庫
酒田観光の目玉はなんと言っても山居倉庫。1893(明治26)年に酒田米穀取引所の付属倉庫として建造。土蔵造り
12棟からなる。上の写真の一番奥の建物1号棟が『庄内米歴史資料館』に、写真には写っていない手前の11-12号
棟が『SAKATA夢の倶楽(くら)』として観光物産館となっているがその他の棟は現在も低温倉庫として活用されている。
新井田川に面した表側。背後のケヤキ並木は風除けと
夏の日除けの役目を果たしています。
屋根は二重の構造となっており、湿気対策になっています。
  
復元された山居橋。この下を写真下の小鵜飼船が
往き来した。
山居倉庫の荷揚げの為の船着場。
  
船着場に展示されている小鵜飼船。 こちらは、北前船の二分の一の復元船。日和山公園
の池に展示されています。