■ 南三陸さんさん商店街と震災遺構・高野会館と南三陸町防災対策庁舎 2019.7.28 
   
 ◆南三陸さんさん商店街で「キラキラうに丼」
  南三陸さんさん商店街は、震災の翌年の2012年にJR志津川駅(BRT)駅前に仮設店舗として開業。
自分も四年前の2013年に「田束山のつつじ」鑑賞のツアーの途中で仮設店舗を訪れた。
 
 2017年3月、少し北側の現在地に移転し本格営業を開始した。
  15mの津波が押し寄せた旧・三陸町防災対策庁舎との位置関係。 
商店街は、土盛りした土地に建築されています。
  五月は特産品の「ウニ」の旬で、地元で一斉に売り出している「キラキラうに丼」などを求めて
お客さんが沢山来ていました。
  チリ地震津波の縁でチリと友好関係にあり、今回の津波で損壊したアモイ像を新たに作成して
南三陸町に寄贈された。
   
   ウニの他にいくらも食べたかったのでMixです。
 ◆民間震災遺構・高野会館
  『327人と犬2匹の命を救った』南三陸町の結婚式場・高野会館。

 2011.3.11。その日、高齢者芸能発表会が開催されていた。
海岸からはたった200mしか離れていない当会館の従業員たちは、「津波が来るはずだと判断」し
館内にいた人々を帰宅させずに上層階に退避させた。
 地震から45分後、15m以上の津波が何度も押し寄せ、屋上の一部も30cmほど浸水した。
 
4階の小さな部屋と機械室などで、夜を明かし、全員が助かりました。
 一般公開はしていませんが、ガイドさん同行で館内を案内していただきました。
  二階  
  三階、披露宴会場   ご夫婦が良く乗って来る登場する「ゴンドラ」。
 同じ三階   三階と四階の階段。 館内の浸水の高さを説明。
壁のクロスが若干色違いになっています。
  300人もの人々が肩を寄せ合い寒さをしのいだ部屋。
その日、仙台でも小雪が舞っていたので、ここも相当寒かっただろう。
  屋上の機械室。
ここで夜を過ごした方もいた。
  当日、海水が大きく沖に引いて行ったので大津波が
来ることを予想して避難させたと言う。
  会館屋上から見た町の東側。
お昼を取った南三陸さんさん商店街と、旧・南三陸防災対策庁舎。
 
旧・南三陸防災対策庁舎は、
「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価され、当時、大きな話題として報道された。
  町側は、財政の小さな町が遺構を残すとなると財政的に復興の足かせになるとして撤去を決めたが
町民と国が震災遺構として残すべきとして揉めた。
宮城県が2031年まで一時保有し、その後最終決定することになった。

 訪問当時、工事中で敷地内部に入れなかった。
  町の職員43名が犠牲になった南三陸防災対策庁舎は海抜1.5mの地に建設されていた。
以前、チリ沖地震で町は2.4m浸水していたのでもっと内陸部に町の庁舎を建てれば良かったと悔やまれる。

更に不幸なのは、予想された津波の高さが当初「6m」と報道されていたが、実際には15.5mも有った。
津波はこの建物の屋上で2mも超しており、幸いにもアンテナによじ登った人や階段の手すりに
しがみ付いた10名が助かった。

 2Fの危機管理課の女性職員・遠藤未希さん(24歳)は防災無線で住民に「早く高台に避難してください」と
避難を62回に渡り呼びかけ続けたが、津波が迫って来て周囲の職員の『未希ちゃん、上に上がって』と
促されて(録音されていた)避難したが津波に飲まれ殉職した。
前年7月に結婚し、披露宴は被災した年の9月に予定されていたとの事。
ご遺体は、翌4月23日に志津川湾内で発見され、後日ご本人と確認されご遺族のもとに戻った。