■ 支倉常長の墓参り-伝承地を巡る<伊達武将隊>③ 大和町・西風ほか     2019.6.23
   
 ◆大和町・西風(ならい)の常長の墓・五輪塔
  支倉常長の三つ目の墓は大和町西風(ならい)の共同墓地だった所にある五輪塔です。
 
地主さんと近くで合流し墓所まで案内いただきます。

 地主さんの話では・・・
約40年前、この家の長男の高熱が長引き、困り果て、
地方の祈祷士に拝んでもらうと「支倉常長が供養して欲しいと言っている」と告げられた。
常長の話は全く聞いていなかった男性は驚き、参拝すると病が快癒した。
それ以来、彼岸と盆には墓参りをするようになったとの事であった。

また、隠れキリシタンの家系だと伝えられ、
仏壇には今でも、製作年代不明の高さ約15㌢の聖母マリア像が置かれているらしい。


現地まで地主さんにご案内いただいたが・・・
『墓地までケモノ道で、猪が出たし、傍の田圃ではマムシも出たので・・・
ここの道路から山の方をお参りしたら』とのアドバイスがあり、それでも「ツワモノ」9名で墓参した。
  支倉常長さんは、事前に訪問しているらしく、我々は後に従った。
最初の登り始めは本当の獣道だったが、少し登ると50cm位の山道が出て来た。
  墓石らしいものがゴロゴロしている中に、3本の五輪塔が有った。

木漏れ日が、丁度、手を合わせている常長さんを照らし女性たちが騒いでいた。
地主さんの話を聞いていたことから、何か神秘的な感じがした。
    マムシにも出会わず、無事に下山した。
 ◆曹洞宗・槽川寺のマリア観音
  途中立ち寄った大郷町の「道の駅おおさと」内の
慶長遣欧使節団・支倉常長公ローマ法皇謁見図
  道の駅の近くにある、曹洞宗・槽川寺(そうせんじ)の
「マリア観音」を拝見するために立ち寄りました。
  槽川禅寺  
  内陣の脇のマリア観音を拝見
 マリア観音。右手下のデザインが「白字抜きの十字」   観音堂。以前は、こちらに収納していたが防犯指導
により、本堂に移動した。
由来: 
 江戸時代 幕末の頃、一人の旅人が、南から 吉田川を渡り 粕川に入って来ました。
旅人は、粕川入口の某家に、「 子安観音 」 と言って、一体の 観音像を預けて、何処ともなく立ち去りました。
その旅人は、多分隠れキリシタンで役人の取り締まりが厳しくなり辺鄙そうなこの地域に託したのだろう。
某家では、この 「 マリア観音 」 を 「 子安観音 」 として、家の傍らに 観音堂を造り、粕川の人々と共に
信仰してきました。

 明治時代にこちらの寺に住職が常駐するようになると、お寺さんに預けられた。