■ 支倉常長の墓参り-伝承地を巡る<伊達武将隊>② 川崎町・圓福寺     2019.6.23  
   
  仙台市の南隣の町・川崎町に移動。「イーレ!はせくら王国」で一休み後、裏手の常長の墓がある圓福寺に
向かいます。
 圓福寺  
 墓の裏手の高台は、支倉常長が少年時代を過ごした支倉氏代々の山城「上楯城址」がある。
  圓福寺と木の根の孔雀  
  内陣と、脇仏の「マリア観音」。   ご住職が手にしているのは、仏像に見えるが・・・
足が長く、少し違和感がある。
  黒い「仏像」の頭が、宣教師の様に真ん中が禿げて
周りに毛がある。
  「マリア観音」の左手の所、子供の着物の所に
「十字」が記されていて、
子安観音に似せたマリア像だろうと言われている。
◆ 支倉常長の墓
  墓地の右上に、支倉常長の墓があります。
当日は、「みやぎ川崎 慶長遣欧使節団 支倉常長隊」の、支倉常長さんが先においでになっていました。
    少し痛んでいる宝篋印塔。常長の墓。
  狛犬ならぬ、「狛龍」。  
 家紋が二つ。左が、鷹の羽、右が「まんじ」紋。「卍」は世界で「幸運」のしるしといて使われていた。
支倉家のものは左右逆で、右まんじと呼ばれ、遠くはフィンランド空軍の識別マークとして使用されている。
そして、矢を交えている。支倉常長が西洋風にして遣欧時に使用していた。
  
 尚、キリスト教の禁教時は十字架代わりにも利用されたらしい。
仏教寺院では良く見られるので都合が良かったでしょう。
  川崎の支倉常長さんの説明を聴く一行。  
 墓から下を見る。左上が「イーレ!はせくら王国」。  「いかり印の墓」 = キリシタンの墓
 墓に、二本の線と、ひらがなの「し」の字を書いたようなデザインは「いかり(船の碇)印」と言うそうです。
平成4年にメキシコの「ハポン」さん一行が支倉常長の墓参に訪れた際、この印を書いた墓を見て
『ローマ・スペインを往来した人たちの墓だろうと話していたと』との事です。
  上の墓の下の方にも、二つの「いかり印」の墓石が有りました。
 ◆イーレ! はせくら王国 で昼食
  廃校になった支倉小学校の校舎を利用し、観光交流施設「イーレ! はせくら王国」。
「イーレ」は、スペイン語で「行こう」だそうです。
 売店  レストラン
  名物のカカオカレー。
きっと日本人で初めてチョコレートを食べたであろう
支倉常長一行にちなみ、カカオ製品提供。
  ダブル支倉常長さんも、一緒してサービスも。