■ 猫一杯の田代島と金華山・伊達武将隊バスツアー① 
   「田代島」その1    2019.4.21 
   
  親潮と黒潮がぶつかる世界三大漁場の一つとして有名な「金華山沖漁場」のその名の金華山と
猫島として有名な田代島を、おもてなし武将隊「伊達武将隊」と一緒に回るバスツアーに参加。
 
 一日で定期便を利用して二つの島を回るのは無理なので、チャーター便を利用して巡ります。
  地元の旅行会社が伊達武将隊プロデュースのツアーを年に何回か企画しています。
実は2月に「宇和島応援ツアー」に参加しており、今回は武将隊さんと一緒になるのは2回目です。
 
 今回の武将隊さんを紹介しておきますね。
先ずは伊達政宗公は仙台伊達藩の初代藩主で、皆さんもご存知かと思います。
 
次に、派手な衣装の御仁は「支倉常長」で、慶長18年(西暦1613年)藩士・支倉常長ら一行180名を乗せた
伊達政宗建造の黒船に乗って月の浦(現石巻市)から出帆し、太平洋を横断、更にローマ法王に接触した。
政宗の願いは、メキシコとの通商が実現できるように宗主国スペインへの取り無を依頼するも実現しなかった。
 
 写真右上は、お馴染み松尾芭蕉。
宮城県内には、約二週間滞在(元伊達藩領地の岩手県平泉往復含む)しました。
奥の細道紀行の動機は「松島の月」を見ることと、「芭蕉は隠密だった説」に寄れば藩内の視察。

松島を巡った後「道に迷って」石巻を訪問しております。 
石巻は仙台に次ぐ大きな港町で有ったので繁栄している旨を紀行に記しています。
  松尾芭蕉さんが作成したと言う「田代島猫だらけMAP」を頂いて、出航場所の石巻市に向かいます。
 石巻・北上川の河口の大橋。  上から三番目の写真、芭蕉像がある日和山。
  2011年3月11日の東日本大震災では、この一帯は津波被害に遭い、左上の門脇小学校は火災被害も
有りました。震災遺構として、中央部分を残す方針に、一部市民が「全体を残せ」と揉めています。
 
 写真で見る通り、8年経っても土盛りだけの状態です。
 
川沿いの、網地島までの定期船乗船口に向かいます。
  上にも書いていますが、今回はチャーター船で田代島と金華山を巡ります。
  実は、カモメの餌用のカッパエビセン、「賞味期限切れなので食べ無いで」の案内有り・・・

 『平成19年かよ(^^;』と暫く勘違いしていましたが
相手のカモメは来ないし、周りでポリポリ食べていたので食べました。
良く見ると2019年4月なら、多少経過しても問題なかった(~~;  思い込みは、怖い!!
 暫くすると、奥に朝繰りが発生していた。

幻想的な光景です。
こんな光景には中々出会うことは無いでしょう。
  で、その内・・・
朝もやが切れると、青空が開け始め「朝焼け」の色合いの中に栗駒山が薄っすらと見え始めました。

 同行の芭蕉さん『滅多にない光景ですよ♪』と紹介していたので、望遠を効かして撮影です。
  当然のことながら、初めて見る海からの栗駒山です。
  そうこうしているうちに、田代島に到着です。
 南北の二つある港の南側の二斗田港に着岸です。

 流石、猫の町の港。猫のイラストが歓迎してくれています。
  乗って来たベガ丸。   改めて武将隊の挨拶が有り島内観光開始。
  船の待合室   皆さん、注意書きを見ながら通過です。
  「島内の注意喚起」
「猫さんには餌を与えないでください」の注意書きと「猫ご飯を持ち込んだ場合」の
「猫ご飯お預かりBOX」が有りました。
 島内を巡るコースが2つ有り、自分は政宗公と猫神社までのコースを選択。
港の前の開発センターの建物前を通過して島内散策開始です。
  門番(?)のネコさんに遭遇。   民家区域に入りました
  猫の陶器のオブジェ。   猫の種類に詳しくないので・・・トラ猫か?
  二匹とも、お目め閉じて朝寝中  
    皆さん猫撮影
  「クロネコ堂」に到着。  
  店内狭いので、待機中  クロネコ堂・田代島歴史資料館
  資料展示   郵便局も兼ねているようです。
  スティック珈琲100円。セルフサービスです。   女将さんと記念撮影の武将隊。