■ 塩釜市その1
 塩釜港は、古くは(平安時代)多賀城国府の隣接港として、江戸時代には伊達藩の鮮魚供給基地として、明治以降は
国内有数の港湾都市として、また、近代になってからは近海・遠洋漁業の基地として発展してきました。

 国内のマグロ船団の基地になっている塩釜港は、生マグロの水揚げ量が日本一の港です。
中でも近海の本マグロやメジマグロが主とされ、地元の鮮魚店、割烹、寿司屋を始め全国に供給されています。

 又、御馴染み日本三景・松島の観光の基点としても重要な役割りを果たしています。
 隣接する多賀城市に北の守り「多賀城」が設置された時には、二股に切れ込んだ塩竈湾(千賀の浦)のうち現在の
塩竈市香津町(国府津=こうづ)が国の港の役割りを果たし、又、その守り神として塩竈神社が信仰を集めたようです。
 塩竈神社の本殿には、左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)・右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)の御二神をお祀りしていますが、
二神は、出雲大社の国譲りで活躍した武運の神様です。塩竈に来て、定住されたことになっているようです。
  別宮(特別なお宮の意味)には↑ 「塩土老翁神(しおつちおぢのかみ)」が祀られています。。
海彦・山彦の山彦が釣針を無くして困っていた時にアドバイスをしたり、神武天皇に東征を勧めた神様です。
塩竈市まで来てここに「定住」されました。そして、製塩技術を教えたとの事です。
  
 写真右上・市内の商店街・本町の中にある御釜神社も塩土老翁神を祀り、「塩竈の地名発祥の地」としています。
塩竈神社の末社となっていますが毎年7月に、藻塩焼きの方法で製塩し塩竈神社に献上しています。
 元々は山際に海が迫っていた平地の少ない土地柄で、埋立で市街地が広がってきました。
詳しくは分かりませんが、この「宮町」一帯が海岸線で塩竈神社の門前町になっていたと思われます。
  
下の案内図の『現在地』が上の写真辺りで、奥の細道の紀行で芭蕉が松島に向かった船出の地になっています。
今では、上の写真のようになっています。
 一段上の写真の拡大で、味噌屋・太田屋さんの建物。芭蕉船出の地となっている場所です。
  
 古い町並みとしての建物群は有りませんが、塩竈神社の表参道が接する『塩竈海道』に造り酒屋等の町屋・
蔵などが見られます。