宮城県登米市登米(とめし とよま) その1
  宮城県登米市登米は約800年前に葛西氏が寺池に築城して約400年間の歴史を持ちその後、1591年に伊達政宗の支配下に置かれ、
1604年に白石(後の登米伊達氏)宗直が領主に任じられ繁栄した町です。

  
  
  ◆明治時代の建物と蔵の町並 … この頁
  ◆武家屋敷通り1
  ◆武家屋敷通り2、森舞台  
   
■ 明治時代の建物
 明治22年から昭和43年まで登米警察署として使われ、今は警察
資料館となっている建物。
 旧・水沢県庁。明治4年から8年まで置かれ、その後は学校や
裁判所などに利用された。現建物は平成2年に再建。
  国指定重要文化財、旧登米高等尋常小学校校舎。みやぎの明治村・登米の象徴的な建物で教育資料館になっている。
■ 町屋の景観 蔵の町並
 登米の町並は江戸の町づくりと同じ『の』の字型になっている。 当然、城の近くには頼りになる家中を配し、次に町人町を配して行く形です。
 北上川に沿った形で形成された町人町は、現在も商店街として存在しています。かなりの建物は建て替えられていますが、所々に
土蔵の建物が有ります。
  店蔵を”化粧直しして”の化粧店   醤油の醸造元
 三軒長屋形式の土蔵造り商家。  こちらは蔵では有りませんが、看板形式の建物
商店名が右から左に書かれている。
 町屋資料館  海鼠壁の美しい蔵も有りましので一枚