■ 「おかえりモネ」ロケ地@  2021.6.30
   
  地元の旅行会社「河北新報トラヘル」が宮城県登米市の「おかえりモネ」のロケ地をめぐる旅を設定したので参加した。
仙台駅を8時出発で、少し早めの時間設定だなぁと思っていたら、8時からの放送を見ながら出発と言う企画だったようです。
  ◆ 寺池園…モネの下宿先
 モネの下宿先として、新田サヤカさん(夏木マリさん)の自宅設定のロケ場所が「寺池園」(外観のみ公開)。
駐車場から、場面にしばしば登場する木々が生い茂る山道を少し上って到着です。
 木々に囲まれ、眼下には北上川が流れています。   左上の写真は、モネが洗濯物を干しているシーン(「おかえりモネ展」の展示写真)
  ここから見える北上川  
 モネは下宿先から北上川の堤防を自転車で職場に向かいます。 
(写真は、過去に撮影したもの。芭蕉が「奥の細道」で北上川を舟で遡り登米市登米町で上陸した地)
  寺池園の建物   屋根を支える杉
 裏手に「太い」杉の根元を持ってきています。
ガイド曰く、『普通は、太い方を人に見せるものだと思う』との事。
  裏手の広場には、弓道場が設置されていました。
家主は有段者で練習とか、指導に使っていたとか。
  現在期間限定で、建物外部のみ公開中。  
 ◆森舞台…「登米能」上演で新田サヤカ(夏木マリ)が横笛を披露 
 舞台の奥の右側で横笛披露する新田サヤカ。
 (「おかえりモネ展」の展示写真)
 登米市(とめし)登米町(とよままち)の能舞台・「森舞台」。
   
  入り口手前の展示室   能舞台の解説が有りました。
 今回のツアー、「みやぎの明治村 とよま 観光案内人倶楽部」の方にご案内いただきました。
豊富な知識と、ユーモア溢れる解説に今回ご案内いただいた箇所の知識を深めました。

 そもそも伊達政宗公が能を好んだことから仙台藩には代々能が伝わってきましたが、明治時代に廃れました。
しかし伊達家一門の登米伊達家がこの地域に能の伝統を残しました。
武家のたしなみだった能は、一般の町民たちによって現代に受け継がれています。
  登米能を上演する舞台として1996年(平成8年)に建てられた「森舞台」は、もと登米伊達家の鉄砲鍛冶屋敷跡地に
山裾の地形そのまま木々に囲まれた屋外の能舞台というのが珍しく、風情があります。

 また青い竹の絵から舞台を囲む竹林へと景色が連なっているように見えます。周りの自然と舞台を調和させる工夫です。

設計が建築家の隈研吾さん、鏡板の絵を描いたのが日本画家の千住博さんという豪華な顔ぶれです。
  ガイドさんの裏話ですが・・・
建設にあたって町役場と地元の寄付による予算は2億円だったそうですが、建設費を積算するととても足らない。
そこで、地元産素材を多用。舞台の柱は地元産のヒバを用い、屋根は登米町特産の天然スレート葺きとし、
舞台には腰板を付けず、床下には地元民が寄贈した瓶で共鳴装置とし、高価な白玉砂利では無く黒い砕石とした。

 『節約して舞台に腰板を付けなかったので、皆さんに床下も見てもらえている』とガイドさん。

 鏡板の絵は、『絶対文句を言うな』と言う約束の元、画家・千手さんに格安に描いて貰ったとの事。
普通、鏡板の松は根元から頂の松葉までの「完成形」で描かれるそうだが「中間部分」だけが描かれている。
床下の地面から松が立ち上がり、天井の上に伸びているように観客に想像させる手法だそうです。
青い竹の絵から舞台を囲む竹林へと景色が連なっているように見えます。
周りの自然と舞台を調和させる工夫です。

ヒバで作られた柱は丈夫で、数々の地震の揺れにもびくともせず、
日本建築の頑丈さが、東京オリンピックの新国立競技場にも活かされているとの事。
  舞台と鏡板の松の絵と竹の絵  『実際の老松がそこに存在するような雰囲気を醸し出されれば』
 鏡板の松は天然緑青、切戸の若竹は天然群青を用い、能の「虚実の世界」(=松の緑が実を、竹の青は虚)表すと言う。