■ 村田
 ■ 蔵の町  小京都・村田

 今でも、東北自動車道から山形に向かう山形道とのジャンクション
としての機能を持つ「村田」
往時は、仙台と山形を結ぶ街道の分岐点として、商都として賑わった。

 仙台藩の推奨で、宮城県南部で「紅花」「藍」が生産され、村田商人
はこれを買い集め江戸や上方へと送り出した。

 また、これらの商取引を介して都から様々な文化が輸入された。

 鉄道の路線から外れ、産業・物流の変化により商都としての機能は
無くなってしまった当地は、大規模開発の流れから少し遠ざかってい
た。

 その性もあって、今でも当時の豪勢な商人町としての「店蔵」と門が
が残っている町並みを形成している。 
「観光バス」は来たりはしない観光ずれしていない町並みです。
 町の中心地には、重厚な「店蔵」が点在しています
 店蔵の脇には、住宅の門があり、京都の様な「うなぎの寝どころ」奥行きの長い土地割りになっています。
 地元の造り酒屋さん。  屋根つきの看板も凝っている。
  
    催事場としても活用されています。
 蔵を活かして、そのまま商店として使っています。  化粧直しをして、「化粧品店」