■斎川宿 [奥州街道 宮城県白石市]
 奥州街道が宮城県入りすると、番所があった越河、次がここ斎川宿です。
福島県・宮城県の県境の国見地区、或は宮城側の越河辺りは東北地方の背骨・奥羽山脈と太平洋側の阿武隈高地
が迫り、奥州街道は山の山腹・峠越えを迫られていました。 JR東北本線もこの辺はニ重連の蒸気機関車で峠越えを
していました。
 
 斎川宿の入口は、馬に乗ったままで通ると鐙(あぶみ)が岩肌に擦れてしまう狭い山道だったようで鐙摺り坂と呼ば
れていました。
  
 中央の石碑は、『孫太郎虫碑』です。孫川太郎虫とはヘビトンボの幼虫で串に刺して焼いたもので子供のカンに良く効くのが有名でここ白石の
名産でした。
鐙摺り坂を越えると村田神社があり、甲冑堂が有ります。ここには、義経の警護に当った福島県飯坂の佐藤兄弟
の二人の妻(初音=若桜、と楓)の武者姿の像が安置されています。松尾芭蕉が奥の細道紀行で二人の像を見て
感嘆したと言われています。
 芭蕉の頃は、街道の両脇に350軒余りの家並みがあったとの事ですが、現在はほとんど面影は無く、標識だけ
が往時を偲ぶだけです。
 一軒だけ、検断屋敷跡が残っています。
 明治天皇が東北御幸の際に小休止をなされたようで、門の脇にその石碑が建っていました。
現在もお住まいのようですが、手入れのほうまでは手が回らないようです。