■松尾芭蕉 奥の細道その後    『麦の別れ』八丁畷/神奈川県川崎市
 松尾芭蕉が生涯を閉じたその年の旧暦5月11日、江戸深川から郷里伊賀へと旅立ち、川崎宿で門弟と別れた。
(写真: 左上は駅前近辺の東海道碑。 右上は句碑の有る八丁畷。JR、京急の駅の近く=奥に駅舎が見えます)
 左記の案内看板の通り、東海道・川崎宿のはずれ
八丁畷(はっちょうなわて)で門人たちと別れます。
 
 茶屋で別れのだんごを食べながら、芭蕉翁の見送り
の俳句を詠みあい、芭蕉が次の句を返します。

 麦の穂をたよりにつかむ別れかな
 
 (風にも揺れる頼りない麦の穂を頼って歩く旅立ちの別れであるよ)

川崎宿もこの辺りになると田んぼや畑ばかりで、茶屋があるのみ
そんな情景と、多分、この先そう長くは生きられないだろうことは本人
も、門人も感じていたのかもしれません。
この句が、関東での最後の句となりました。