■ 日光 その2
 輪王寺宝物殿の庭にある芭蕉句碑。辛うじて『あらとう・・・』と分かる程度。
  
 卯月<4月>1日(新暦 1689年5月19日)、日光山にお参りする。
この御山を「二荒山(ふたらやま)」と書いていたのだが空海大師が寺を開山するに当たり「日光」と改められた。
千年もの後の事を予測していたのでしょうか、今、東照宮のご威光は光り輝いて恩恵は四方八方に満ち溢れ、
人々は皆、安心して生活し手いる状態である。もっともっと書きたいけど恐れ多いので筆をおくこととする。

 
 あらたふと青葉若葉の日の光  ああ尊いことだ。<東照宮の有る日光山の>青葉や若葉に照り輝く初夏の日の光は。
  
 東照宮の入り口  表門を入ると三神庫があり左手に進みます。
 向かい側の神厩舎に、御馴染み三猿が。  そして陽明門へと向かいます。
 豪華絢爛さの象徴とも言える陽明門。
 
 少し寄り道を。
芭蕉がここに到着した前の年、仙台・伊達藩は徳川幕府から東照宮の大改修を命じられます。
その工事費は13万両(=260億円)にも及び、これを不満とする伊達藩に謀反の動きが(?)と疑われます。この情報
を集めるため水戸藩から曾良に芭蕉の随行が命じられた。これが芭蕉の隠密説として話題にされます。
 唐門と拝殿  御馴染み「眠り猫」の坂下門。
 奥院・鋳抜門  徳川家康の墓所にある、宝塔。

 ◆ 裏見の滝 …(日光三名瀑)
 黒髪山(男体山)は霞がかかり、雪がいまだ白い。
 (男体山の雪に関しては、芭蕉がここに来たのは新暦の5月19日ですので、今回私が訪問した5月3日より遅い。↓男体山の雪はほんの少し。
今年が暖かかったのか、320年の間の温暖化の性でしょうか? )

 剃り捨てて黒髪山に衣更 曾良 
 髪を剃り捨てて、僧侶の衣に着替えてここまでやってきたが、ここ黒髪山で衣替えの日を迎えたことだよ 曾良
   (※ 当時は4月から夏の季節で、4月1日に衣替えをした)
 
 曾良は河合氏で、惣五郎と言った。芭蕉の下葉の様に近くに軒を並べて住み、私の炊事の面倒を見ていてくれる。
この度、松島・象潟の情景を一緒に見ようと誘うと喜んで、かつ、旅の苦労を助けようと旅に立つ明け方に頭をまるめ
黒染めの僧衣に着替え、名前も惣五から惣吾と改名した。そこで、黒髪山の句を詠んだのである。
衣更の二字には力がこもっているように見える。
 
 20余丁程、山を登ると滝が有る。岩の洞穴の頂上から飛ぶように流れ落ちること百尺、多くの岩の滝壺に落ち込ん
でいる。岩の洞穴に身を縮めて入り込んで、滝の裏側から見るので、裏見の滝と言われている。
 ※尚、明治時代に岩場が崩落し、現在では滝の裏側は見ることが出来ません。
 
 暫時(しばらく)は滝に籠もるや夏の初(げのはじめ)
 しばらく滝の中にいると、(俗世間から隔離されたようなすがすがしさ。 行者が) 夏籠りをしているようだよ。夏の初めのこの時期に。
 裏見の滝の後、含満ガ淵(かんまんがふち=大谷川の急流が男体山から流れ出た溶岩を削って出来た景勝地)を
見学後、一向は、西側に進み黒羽へと向かった。