■ 鼠が関 (ねずがさき) 山形県鶴岡市
 
 酒田では滞在の日数を重ねてしまった。ようやく北陸道の雲に向かい(遥かかなたの行き先を眺め)、まだまだ旅を
続けなければならないと言う思いが胸を辛くさせる。加賀の国府まで130里とか聞いている。鼠の関を越えると越後の
地になり、越中の国・市振の関に到着する。この9日間(実際はもっと)というものは、暑さと雨にたたられ具合が悪くな
って病気になり旅の様子を記せなかった。
  
 
文月や六日も常の夜には似ず  …もう7月だなぁ。七夕前の6日だと思うといつもの夜とは違った気がするよ
 
荒海や佐渡によこたふ天の川  …海の荒れ方が凄いなぁ。その向うに佐渡が見え、空には天の川が横たわっているよ。
   

 1689年新暦8月10日から26日にかけて北陸道を旅するが、奥の細道では簡単に纏めらています。
   
旅の目的の第一は太平洋側の宮城県松島、第二は日本海側の松島・秋田県象潟を訪ねることでありこの二つを見学
し終えて、満足したのと一種の虚脱感に襲われたのでしょう。

◆鼠の関(鼠ヶ関)
 新暦8月12日、芭蕉はこの関所を通った。
 北陸道(=ほくろくどう)は、越前、越中、越後、佐渡、
加賀、能登、若狭の7国。
 

 鼠の関(=念珠の関とも書く。ねずのせき)は、奥州
三関の一つ。勿来の関(太平洋岸、福島県いわき市。
なこそのせき)、白河の関(内陸部、福島県白河市)と
共に代表的な関所となっていた。
 
 芭蕉と曾良は、温海で初めて別行動になる。
芭蕉はこのまま海岸線を下って鼠の関を通り、曾良は
温海川に沿って湯温海に向かい山間部を村上へと向
った。 理由は定かでは無い。芭蕉の海岸線のこだわ
り、関所の通過の都合などが推測されている。

 ※このコースは、2007.3.17にJR羽後本線 村上駅から鼠が関駅
で途中下車し、鶴岡駅まで鉄道を利用しての足跡探訪です。

 
 鼠ヶ関(念珠関)跡は、国道7号線から鼠が関の町中に入る信号の所にあります。    Map
JR鼠が関駅からは約1km弱です。
 町からの道路と国道7号線が交差する手前に『芭蕉紀行300記念』の小公園が有りました。
↑左上の写真の中央奥が念珠関跡
 おくの細道の北陸道の一節が刻まれていました。
湾内と海水浴場
 ところで、駅から関所跡に向かう途中、二人の女の子から『さようなら』と挨拶されました。
児童に声を掛けるのにはばかれる様な風潮が広まった昨今、とても新鮮な感じがしました。その先の橋の上ですれ違
ったお婆さんにも『こんばんは』と挨拶を貰いました。
 ”美しき日本”が、この地で息づいていて感動しました!
 JR鼠ヶ関駅前の景観と新奥の細道の案内板。
 出羽街道(現国道7号線)は、鼠ヶ関駅から一つ南の勝木駅(がつき)付近から内陸部に入り、山間部を通り村上へ
と向かうことになります。現在ではJRも県道345号線も海岸線に沿っていますが、車窓から見る景観は所々山裾が
海に突き出ていますので当時はこの辺の海岸線は通れなかったのでしょう。

芭蕉もここで海岸線と別れて出羽街道を進み、中村(新潟県仙北町)で曾良と落ち合った。