■ 尾花沢    山形県尾花沢市
     
 新暦 7月3日、芭蕉と曾良は山形県尾花沢市に到着した。
ここには、芭蕉の交流があった清風という者がおり、これをを訪ねた。
彼は、談林派(※)の俳人として活躍した人物である。
本名を鈴木道祐、通称を島田屋八右衛門といい紅花問屋を経営していてかなり裕福ではあったが、
とても気持ちの良い人物で二人をもてなしてくれた。
御礼の意味を込めて、芭蕉3句、曾良1句を詠んでいる。二人はここに10泊(清風邸3日、養泉寺7日)する。
  

千住を出てから、大きな目的地の一つ岩手県平泉に向い北上するまでは『目的地に向かって旅する』ことに集中し
て、山越えの後、ここ尾花沢からは『旅を楽しむ』態度に変わっているように見えます。知人がいたり、旅の折り返し
に入った事などの性でしょうか…管理人の独り言
  

※談林派 芭蕉が影響を受けた俳諧派閥のひとつ。貞門派が保守的・古典的な俳風で勢力を保っていたが、これに不満を持つ一派が、
革新的な俳風で勢力を伸ばし次の地位を得るも、余りに革新的過ぎて奇抜な方に進み廃れてしまう。芭蕉は、この二派の影響を受けて
自分の俳風、芭風を生み出した。

涼しさをわが宿としてねまるなり
 旅先にありながらも、涼しさを自分の家のように味わいながら
気楽に休んで座っている。
 「涼しさ」は、もてなしてくれた主人「清風」の名にかけていて、
山形弁「ねまる=座る」を使い、感謝の意味合いが有る一句。


這い出でよかひやが下のひきの声
そんな所で鳴いていないで、這い出てきなさい。飼い家の床下の
ひきがえる。


まゆはきを おもかげにして紅粉(べに)の花
女性の眉履きの姿を思い浮かべさせるように咲いている紅花よ。
「眉履き」は、白粉をつけた後で眉を払う刷毛。

蚕飼(こがい)する人は古代のすがたかな…曾良

 清風の邸宅があった跡地。
 上の清風邸跡地の直ぐ近くに、江戸時代の商家の店舗・母屋を移築・復元して『芭蕉・清風歴史資料館』が
建設され、資料が展示されている。この建物の左手に銀行があり、その交差点を右に右に進んで直ぐ電気屋さんが有りますが
そこが、清風邸跡地。 その道を真っ直ぐ進み、突き当りT字路を右折してしばらく行くと養泉寺が有ります。(清風邸から500m)
芭蕉が宿泊した養泉寺
 火災で寺自体は焼失、建替えられているがこの井戸は
芭蕉が宿泊した頃から存在している。
境内にある『涼し塚』。左下の句碑が有ります。
涼しさや…の古碑 その裏手にある、芭蕉、清風などの連句碑