■ 登米市 登米(とめし とよま)
 新暦6月27日芭蕉一行は(石巻で一夜をあかし)夜が明けると再び見知らぬ道を迷いながら歩く。
はるかに続く北上川の土手の上を行く。心細く見える沼に沿って進んで、「戸伊麻(※)」というところに一泊した。
(※現 登米[とよま])


芭蕉はこの北上川の土手を写真の向う側・石巻から歩き、途中から船に乗って登米に到着した。宮城県から岩手県に向かうには、仙台平野の
左手山際を通る国道四号線・JR線などのあるメイン街道「奥州街道」と中央部の北上川に沿い石巻から岩手県一関市に続く街道「一関街道」
があり、登米は重要な拠点であった。
下の写真は、
一宿の地の碑。芭蕉達は予定した人物にあえず、頼み込んで村役人(検断)の庄左衛門のところに宿泊した。
検断屋敷跡は工事によりこの堤防の下に埋まってしまっためその地にあった「一宿の地石碑」を堤防に建立している。
 (↑ 一宿の地の碑)                                      (寺池城址)

宮城県登米市登米は、約800年前に葛西氏が寺池に築城して約400年間の歴史を持ちその後、1591年に伊達政宗
の支配下に置かれ、1604年に白石(後の登米伊達氏)宗直が領主に任じられ繁栄した町です。
町の南側の小高い場所に登米伊達家の守護・登米神社があり、境内に「芭蕉の句碑」がある。ただし、この道中の句ではなく時代が下って
編纂された「木がらし」に採録されている「
 降らずとも竹植うる日は蓑と笠 」の句である。
旧・水沢県庁跡から続く「前小路」の通りは、江戸時代の武家屋敷があったところで、今でも門や塀が当時を偲ば
させてくれます。
 写真:左上   武家屋敷の町並み。(清野邸の門と塀)  写真:右上 「春蘭亭」。他の屋敷は現在も住人が生活しており、一般公開して
いない。ここは、鈴木家の屋敷跡をお休み所として公開している。
登米は、江戸後期から明治時代の建造物が残っており『みやぎの明治村』と呼ばれています。

 写真:左上 国指定重要文化財、旧登米高等尋常小学校校舎。みやぎの明治村・登米の象徴的な建物で教育資料館になっている。
 写真:右上 明治4年から、岩手県一関市に移される(明治8年)まで使用された「旧水沢県庁舎」。