■ 鐙摺坂(あぶみずり)と田村神社・甲冑堂
 1689年6月19日(新暦)、難所の国見峠・伊達の大木戸を越し宮城県入りした芭蕉と曾良は越河の番所を通り、
馬牛沼の畔を過ぎた。程なく鐙摺坂と田村神社甲冑堂に着く。

 ◆関連地図  Map
 JR東北本線・貝田駅を過ぎると現在の宮城県白石市に入ります。
馬牛沼の畔の駐車場から直ぐ甲冑堂の標識に従い国道4号線を右手に旧4号線を斎川宿の有った地域に入ります。
往時は狭い通りで馬で通ると鐙を摺ってしまうのでこの名が付きましたが今はご覧の通り車も通れます。
田村神社の裏山北西側で木々の下、湿気が多いので『奥の細道標識』が朽ちたのでしょう、寝転んでいます。
幾つかの石碑が建っていますが中央のでかいのは『孫太郎虫碑』です。孫川太郎虫とはヘビトンボの幼虫で串に刺
して焼いたもので子供のカンに良く効くのが有名です。多分今でも数は少ないですが売っていると思います。 
 白石名産としては、その他に白石和紙で作った紙製の衣類『紙子』が江戸時代初期から作られ上品な製品は他国
では真似が出来ないと有名でした。またソーメンに似た温麺(うーめん)が今でも名産品になっていますが、芭蕉が
訪問した年に初めて作られたと言われています。
 鐙摺坂の下手には奥州平定の英雄・坂上田村麻呂(※)を祀っている。境内左手に甲冑堂が有ります。
 
※坂上田村麻呂は平安時代の将で蝦夷と呼ばれた当時の東北地方を平定した英雄として崇められている。
 甲冑堂には甲冑姿の二人の女性像が安置して有ります。これは、平泉・藤原家の命で源義経に付いて殉死した
佐藤継信・忠信の妻、若桜と楓の像です。 二人の嫁は、年老いた兄弟の母が息子たちがいつまでも帰らないので
嘆いているのを見て、武者姿になって母を安心させようとしたと言う逸話に基づきます。
  
松尾芭蕉が実際に二人の像を見て感動したのは、福島県・医王寺のそれではなくここ宮城県・白石市の像である
と言うのが定説のようです。
 
 訪問したこの日(2006.8.26)、NHKの方が撮影していましたのでちゃっかり便乗しました。甲冑堂には波板ガラスがあり普段は中の
全体像は、はっきりとは見れないのでしょうね。
 甲冑堂は、旧・斎川宿に有ります。今では殆どその面影が有りませんが、明治天皇が東北行幸された際に小休止
された『検断屋敷跡』が残っています。 手入れは余りされていないようで寂しいですが。